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サマスペ!2 『アッコの夏』(14)

「本当に電車に乗っていないんだな」
「乗っていません」
 アッコはあぐらをかいた幹事長と向き合って正座していた。小学校の使っていない古い教室には食当以外のメンバーがいて、三年生とアッコの話に耳を傾けている。
「じゃあどうして駅から出てきたんだよ」
 石田が怒鳴り声を上げた。この人はすぐ切れる。
「……トイレを借りていたんです」
 これじゃ嘘つき東条と同じだ。
「すぐ近くにコンビニがあったのに駅のトイレをか?」
「気がつきませんでした」
「ふん。柿崎方面から来た電車が、ちょうど出発したところだったぞ」
「偶然です」
「正直に乗ったって認めろよ」
 石田の唾が飛んでくる。どこかでケータイの着信音が鳴った。
「ああ、俺か」
 幹事長が傍らに置いたリュックからケータイを引っ張り出す。合宿で使うのは初めて見た。画面から顔を上げて細い目で教室を見回した。
「東条は……いない、な」
「まだ到着していません」
「誰か、柿崎を出てから、あいつを見ていないか」
 返事はない。
「東条からメールが入っていた。上下浜駅から電車に乗ってリタイアしたそうだ」
「リタイアだって? 脱走じゃねえか」
 石田が吠えた。
「越後湯沢から新幹線に乗るところだそうだ。体力の限界です。申し訳ありません、だと」
「あの野郎、ふざけやがって。うん? 待てよ。メールってどうやって送ったんだ。あいつ、ケータイ持ってねえだろ」
「送信者が観光案内所になってる。パソコンを借りたんだろうな」
「はん。そういうところは、しっかりしたもんだ。金も隠し持っていたんだろうな」
 石田が吐き捨てた。
「アッコ、お前も東条を見ていないのか」
 幹事長が不審げにアッコを見る。
「……はい」
「おかしくないか。東条は上下浜駅から電車に乗った。その三つ先の駅からお前が出てきた」
「そう言われても」
 ああもう。なんで駅舎まで見送りに行ったんだろう。そして見なかったことにするなんて約束をしてしまったのか。アッコは食当の大梅田がこの場にいなくて良かったと思った。いたら絶対に「女がいるからこういうことになるんです。アッコも由里もサマスペから抜けさせましょう」と幹事長に進言しただろう。
 
「なるほどな。お前は東条と一緒に乗ってきたんだな」
 石田が思いついたように言う。
「東条はそのままとんずら。三駅分、電車に乗ってゆっくり休んだお前は、黙って俺たちに合流するつもりだったんだろ」
「だから違いますって、言ってるじゃないですか」
 アッコは貧乏くじを引いたのかもしれない。ルール違反の不届き者をたたき出してやっただけなのに。
「あれか? 二人で愛の逃避行ってやつか」
 石田が唇をねじ曲げて言った。アッコは「ゲス野郎」という言葉を飲み込むのが精一杯だった。
「そうなんだろ? ところが途中でケンカして、一緒に逃げるのが嫌になったんだな」
「違います。おかしな想像はやめてください」
 石田は舌打ちをした。
「くっついたり離れたり、犬猫じゃねえんだから」
 アッコはゲス野郎に飛びかかる衝動を抑えるのに必死だった。「始め」の声が掛かれば、三秒で腕ひしぎ十字固めをお見舞いしてやる。
「石田、まあ待てよ」
 幹事長がアッコを見る。目が細くて瞳が見えないから、何を考えているのかわからない。
「アッコが電車に乗ったかどうかは、俺にはわからん。だがアッコの話は不自然すぎる。東条の脱走と関係があるとしか思えない」
「おい、アッコ」
 早川だ。
「何か隠してるんじゃないか。ちゃんと話した方がいいぞ」
 心配そうな声だ。アッコを気遣ってくれる人がいた。
「俺は昨日、一緒に食当をしたが、アッコが不正をするような人間だとは思えない」
 幹事長は早川を無視するように目も向けない。アッコは俯いて黙った。心の中で自問自答する。
 ここで真実を明かしたらどうなる? 東条がずるをしたばかりか、それをごまかそうとしていることを、メンバー全員にばらすことになる。ろくでなし野郎だけど、それはあまりに忍びない。
 敗者に鞭を打つようなことは主義に反する。それにあたしは十九年生きてきて、約束を破ったことがない。大切な信念だ。
 
 アッコはほこりっぽい教室に目をさまよわせた。斉藤と高見沢が気まずそうな顔をしている。黒板の下で両膝を抱えて座っていた由里が目を伏せた。
はっとした。
 まさか由里もあたしを疑っているのだろうか。それは悲しすぎる。
 幹事長が「しょうがないな」と息をついた。
「ほかのメンバーへの示しってものがあるからな。罰として今日はメシ抜きだ」
 気を張っていたアッコは途端に力が抜ける。合宿を止めて東京へ帰れ、とは言われなかった。もしそんなことになったら最悪だ。由里との約束を破ることになってしまう。それだけではない。アッコは不正を疑われたまま、これからの学生生活を送ることになる。それには耐えられないだろう。
 気が緩んだせいか、空腹で目が回りそうになる。胃の中は空っぽだ。メシ抜きは、このサマスペでは、もっとも重い罰だ。ひと晩、耐えられるだろうか。
「幹事長、それはちょっと。食べないと明日、歩けませんよ」
 水戸が見かねたように手を上げた。水戸も味方してくれている。アッコは昨日、大変な思いをして宿を見つけ、頑張って食事をつくったことで自分を理解してもらえたのだと思った。
「決定だ。おい斉藤。立ちんぼのクリスの所に行って、東条は来ないって言ってこい。最後尾はどうせ鳥山だろう。鳥山と一緒に戻れってな」
「はい。行ってきます」
 斉藤は自分が怒られたように飛び出ていった。
 

写真AC 中村昌寛さん

 校庭のポプラ並木を夕陽が染めている。アッコは教室を出て校庭の端っこに半分埋められたタイヤに腰掛けていた。とてもじゃないが、みんなの食べているところなど見ていられない。それはほとんど拷問だ。
 教室を出て水道水をがぶ飲みしたら、ほかにやることがない。いくら水を飲んでも腹の虫がごぼごぼと賑やかになっただけだ。水以外のものを胃に入れてやらないと。教室に漂っていたクリームシチューの匂いを思い出すとたまらない。
 そうだ、クリスが立ちんぼをしていた所にファミレスがあった。あそこで皿洗いしますって言ったら、ご飯を食べさせてくれるだろうか。ハンバーグか、ミックスグリルか……天ぷら定食もいいな。
 
「アッコ」
 顔を上げるとジャージを着た由里が走ってくる。トートバッグを持っていた。
「こんな所にいたのね。さっ、行こう」
「えっ、どこに」
「ここに来る途中にコンビニがあったでしょ。お弁当か何か買おう。食べないともたないよ」
 由里が怒ったようにアッコの手を引っ張った。
「でも、お金ないよ」
 由里がポケットから五百円硬貨を出した。
「私の銭湯代。早川さんにもらってきた。私は銭湯に入ったふりして戻るから、これで買おうよ」
「でも由里、それは……まずいよ。やっちゃいけないことだよ」
「電車に乗る方がよっぽど――」
 由里ははっとしたように口を閉じた。
「由里、それは東条のことだよね」
 由里はあたしのこと信用してくれてるよね。
 口に出しかけた言葉を飲み込んだ。それを訊くのが怖かったし、訊くことが嫌だった。由里は隣のタイヤに腰を下ろして膝小僧に手を乗せた。

「ねえ、アッコ。東条君との間に何かあったんでしょ」
 由里はどんな想像をしているのだろう。
「怒らないでよ。アッコは彼をかばっているんじゃないの」
「そんなことない」
 由里はアッコの強い口調に黙った。タイヤを指で押す。
 アッコは教室を出てからずっと考えていた。もしも電車から降りてきたのが、東条以外だったら、斉藤か高見沢かクリスだったら、どうしていただろう。一発びんたしてから、引きずってでも宿まで連れてきたんじゃないだろうか。
 一緒に幹事長に謝って、合宿を続けさせようとしたんじゃないか。それをしなかったのは、東条だからだ。東条が吐いた毒のような言葉の数々が頭に浮かぶ。
 狡猾で腐ってる。もうあの顔を見たくなかった。この先も一緒に合宿を続けたら、東条の顔を見るたびに、あんな男を好きになってしまった浅はかな自分に腹が立つ。それが嫌だからだ。
 こんなにこじれているのは、あたしに原因があるんだ。

「私のせい」
 由里はつぶやいて、タイヤの上に置いたアッコの手に触れた。
「私が無理を言ってアッコをサマスペに誘ったから、こんなことに――」
「由里、それは違うよ。あたしは自分の意志で参加したんだ」
「ううん、やっぱり私のせい。アッコ。事情があったんでしょ。一度くらい電車に乗ったって、私は――」
 アッコは立ち上がった。
「やめて、由里。あたしはそんな卑怯なこと、死んだってしない」
「アッコ……」
 
 誰かが駆けてくる足音がした。
「ハイ、アッコさん」
 クリスだ。背中に夕陽を浴びていた。
「陣中見舞いデス」
 肩に掛けたショルダーバッグから白いものを出す。
「えっ、おにぎりじゃないの」
 食当の秘密兵器、『ビックリおにぎりマシーン』で作った巨大おにぎりだ。
「大梅田さんに持って行けって言われマシタ」
「あいつが? あたしに?」
 アッコはラップに包まれたおにぎりを食い入るように見つめた。
「大梅田さん、あたしのこと、何て言ってた?」
「黙して語らずデス」
「嘘でしょ。だから女って奴は、とか騒いでいたんじゃないの」
「余計なお世話デス」
 クリスの日本語はよくわからないが、とにかく大梅田はアッコのために、おにぎりを作ってくれた。驚きだ。
「食べていいの」
 クリスがおにぎりをあたしに押しつけて、口の前で指を横に動かした。
「秘密の約束デス」
 口にチャックのジェスチャーはアメリカ発祥か。クリスは由里をちらりと見る。
「由里さんも秘密を知りました。同じ穴のむじなデス」
「私は言わない」
 由里はタイヤからすっと立った。
「私、銭湯に行かないと」
「僕も片付けシマス。アッコさん、真実一路デス」

 クリスの駆けていく姿は校舎の中に消えた。由里は校門に歩いて行く。
 一人で銭湯に行くのか。
 アッコは由里の背中に声を掛けようとして、上げた手を下ろした。その手でラップを外しておにぎりにかぶりつく。まだ温かいご飯をかみしめながら、由里の足元から伸びた長い影が動くのを見ていた。それは校門で消えた。

 なんでこんなことになっちゃったんだろう。
 
     ――――サマスペ三日目 柏崎市~上越市 歩行距離三十七キロ

<続く>

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