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サマスペ!2 『アッコの夏』(2)

「今年のサマスペは波乱の幕開けだな」
 副幹事長の早川が冗談ぽく言った。その笑顔を見た斉藤がほっとしている。争いが嫌いなタイプなのだろう。

「さて一年は一応、点呼しとくかな」
 早川が手帳を開いた。一年の参加者を読みあげる。

「斉藤雄太」、「はい」
「高見沢駿」、「います」
「平野由里」、「はい」
「友原亜子」
「はい。でもアコじゃなくて、アッコでお願いします」
「ああ、アッコな。そうだった」

 小学校からずっとアッコと呼ばれてきたから、アコと言われるとむずむずしてしまう。ウォーキング同好会の新歓コンパの時にも「アッコと呼んでください」と自己紹介した。あれからもう四カ月。時の経つのは早い。

「東条和哉」
 返事がない。アッコたちは噴水の前を見回した。高見沢が手を上げる。
「クリスもいません」
「あの二人、びびって逃げちまったか」
 二年の水戸がにやにやしてる。

「いえ、昨日のうちから新潟に来てたはずです」
 高見沢が落ち着いて答えたところに、ブレーキの音がしてタクシーが停まった。ドアが開いて東条とクリスが飛び出してくる。

「東条、こっちだ」
 斉藤が両手を上げた。「遅くなりました」という声に「すいまセン」と妙な抑揚の声が重なる。
「お前ら、時間厳守だぞ。しっかりしろ」

「申し訳ありません。クリスに新潟の文化を紹介していたもんですから」
 東条が息を切らせて言った。金髪のクリスはアメリカからの交換留学生だ。
「そうデス、そうデス。まほほんの握手会があったのデス」
「まほほん?」
 早川が首をひねる。東条が「こら、クリス」と慌てた。

「NGT48の。東条君の推しメンなのデス」
「えっ、劇場まで行ったのか。なんだよ東条、俺も誘ってくれよ」
 斉藤はうらやましそうな顔で東条に駆け寄る。
「すまん、すまん」
 二人は片手を上げてハイタッチした。

「新潟まで来てアイドルの追っかけしてたの」
 アッコはあきれた。でも東条らしい。
「お前ら、もう少しほかに見るべきところがあるんじゃないのか」
 園部が眠った猫のように細い目でじろりと見た。

「しょうがねえなあ、東条は」
 石田が笑う。東条は愛嬌のある笑顔で「すいません」と頭を下げた。東条は斉藤たちはもちろん、同期の女子にも先輩にも人気がある。そこらの女子たちが、きゃあきゃあ言うようなイケメンではないが、どこか可愛げがある。

「まあいい。水戸、所持品を集めてくれ」
 水戸が「はい」と答えて、組み立てていた宅配便の段ボール箱を掲げた。
「ケータイ、財布をここに入れるんだ」

 水戸が言いながら自分のスマホを置く。続いて二年の大梅田と鳥山。鳥山はiPadも入れた。サマスペはケータイのような通信手段と、お金、カードの類いをすべて預ける。持つのを許されるのは、九日間歩くのに必要なものだけ。

 言ってみれば、外界と隔絶された無銭旅行。ただし正副幹事長だけは緊急用にケータイを持つことになっている。アッコは毎日ラインしろとうるさい母親に、その番号を連絡先だと教えてやった。
 電話するならどうぞご自由に、だ。

「来たか、ケータイとお別れの瞬間」
 東条はおどけてみせる。
「俺、大丈夫かな。スマホなしで生きていけるんかな」
 手帳型ケースに入れたスマホを見る斉藤は心細そうだ。

 アッコも短パンの尻ポケットからスマホを出して眺めた。さっきは斉藤に強がって見せたが、中学一年でケータイデビュー以来、身体の一部になっているスマホを手放すのは、やっぱり不安だ。と言うか切ない。
 電源の切り方を知らないことに気がついて焦った。自分でオフしたことがない。

「お願いします」
 由里がさっさとアイフォンと財布を箱に入れた。まったくためらいがない。由里はもともと度胸がある。ずっと応援してきたから知っている。彼女は今、ちょっと調子が悪いだけだ。

「おーい、早くしろよ。タブレットPCやスマートウォッチ、ネットにつながるものは全部だ。それとウォークマンとか音楽聞けるものもな」
 アッコはボタンを長押しして、どうにか電源オフにしたスマホを箱に入れた。

 最後に拝むようにしてスマホを収めた斉藤は、箱の前を離れようとしない。
「水戸さん、これ輪島で返してもらえるんですよね」
 水戸はガムテープでさっさと封をしている。
「もちろん。輪島の宿に送るだけだからな。心配するなって」
 人なつこそうな顔でガハハと笑う。

「よし、今日のコースを説明する」
 園部が前に出た。折りたたんだ地図を拡げる。ほかのメンバーもリュックやポケットから地図を出した。みんな持って来たようだ。

「新人は黙って指示通り歩けばいい」と言われていたし、必携持ち物リストにも地図はなかったから、アッコは用意しなかった。新潟、富山、石川、三県分の地図なんて重くて持って来られたもんじゃない。

 由里が蛇腹に折りたたんだ紙を広げていた。なるほどあれならコンパクトだ。
「由里、ちょっと見せて」
 由里は新潟県の地図をコピーした紙をきれいに貼り合わせていた。右側が全図、左側が新潟市の中心部、つまり今いる市役所前の拡大図だ。
 蛇腹のたたまれている部分か裏側は、富山県と石川県なのだろう。ほかのメンバーが持っているのも、コピーかガイドブックを破ったような地図だった。

新潟市役所 写真AC 時の記録者さんより

「由里、旗持ち、大丈夫?」
 アッコは小声で聞く。
「やってみる。初日で帰らされるわけにいかないもの」
 細身の身体から覚悟が伝わってきた。

 徒歩合宿とは言うものの、毎日のスタートはマラソンのように走る。同好会の旗を持ってその先頭に立つのが旗持ちで、一年生が順番に務める。体力の限界まで走らされるそうで、みんな怖れている。

「スタートは目の前の西通りを道なりに行く」
 園部が大声を上げた。
「約三キロ先の信濃町の交差点で右折して、そこからずっと国道402号を海岸沿いだ。目的地はJR巻駅の近くになる。内陸に入ったら402号から460号に変わるからな。402号と460号、間違えるなよ」

 斉藤が巻駅、402から460、と何度か呟く。高見沢は地図にメモしている。東条は腕にマジックで数字を書いていた。アッコも真似をしようかと思ったがやめておいた。由里についていくと決めたのだから。

「初日の今日は午後だけの行程だから、歩行距離は約三十三キロ」
 斉藤が「うえー」と小さくうめく。園部が地図をたたんだ。
「今日の食当は、鳥山、東条、そして俺だ。巻駅まで先行して、宿を確保して待ってるからな」

 食当は食事当番のことだ。毎日交代で、二人か三人が午後の行程を外れる。無料で宿泊させてくれる施設を探すのがミッションだ。もちろん言葉の通り、食事もすべて作って本隊を待っていなければならない。
 責任重大。その代わり午後は歩かずにすむ。どちらがいいのか、まだアッコにはわからない。

 園部が手を打った。
「旗持ちは由里。自分で志願したんだ。しっかり頼むぞ」
「はい」
 由里がリュックを背負って前に出た。園部からポールに巻いた旗を渡される。

 クリスが「由里さん、志願デスカ?」とアッコに聞いてきた。
「ちょっとあってね」
 クリスは首を傾げて「勇気の人」と囁いた。

「そして伴走だが、梅、伴走はお前だ」
 アッコは思わず由里を見た。由里は黙って屈伸をしている。

「……わかりました」
 大梅田は不服そうだったが由里の横に立った。
 この人選はどうなのかとアッコは思ったが、幹事長に異を唱えるわけにはいかない。
 伴走は旗持ちを走らせつつ、サポートもする役割だと聞いている。大梅田は由里をサポートしてくれるのだろうか。

 大梅田が由里に何か言っている。アッコは二人の後ろに着いた。
「由里、全力疾走できるか」
 大梅田に由里が「はい」と答える。
「よし、道順は俺に任せろ。思い切り走れよ」
 由里が頷く。どうやら大梅田は伴走の役目を果たそうとしているようだ。

「よおし」
「来たよ、来ましたよ」
「いくぞ」

 興奮した声が公園に響く。リュックのウエストベルトをかちりとはめる音が、そこかしこでした。それぞれに屈伸をしたり、アキレス腱を伸ばしたりしている。アッコも由里のすぐ後ろで足首を回した。
 ついていくからね、由里。

「みんな準備はいいな」
 園部の大音声。市役所前にいたサラリーマンや観光客が振り返る。交差点の信号が青に変わった。

「行くぞ、サマスペ。新潟、輪島三百五十キロ」
 園部の「スタート」と叫んだ声が割れた。アッコは無我夢中で駆け出した。前には小柄な由里と広い大梅田の背中。

「走れえ」、「ダッシュ、ダッシュ」、「一年、前へ出ろ」
 耳元で大声が交錯する。鼓膜がどくどくと脈打っていた。

「旗持ち、死ぬ気で走れ――あれっ」
「由里、抜かれたらメシないぞ――おおっ?」
 その言葉を最後に先輩たちの怒鳴り声が止んだ。

「あいつ、速すぎねえか」
 石田の声が裏返りそうだ。由里はロケットスタートを切っていた。一瞬で六車線の横断歩道を走りきって、市役所の前を軽やかに疾走している。

大梅田が無言で後ろを駆けている。話しかけている暇なんかない。十二名の集団が少しずつ前後に伸び始めた。

「アッコ、由里って何者?」
 アッコは隣を走っていた高見沢に「さあね」と答えてダッシュした。

 うかうかしてたらどんどん引き離されてしまう。由里が本気で走ったら、三十三キロ、今日の宿泊地まで走り通してしまうだろう。

「一年、旗持ちに遅れるな。ほら、斉藤、クリス。蹴っ飛ばすぞ」
 後ろで園部が高い声を張り上げる。ばたばたという足音に斉藤の「ひえー」という悲鳴が聞こえる。

 由里は伴走の大梅田を従えて西通りを道なりに左に曲がっていく。アッコはついていくだけで精一杯だ。由里は重そうなリュックをものともせずに、真っ直ぐ前を向いてひた走る。

 ぶれない身体を、リズミカルに回転する足が前へ前へと運ぶ。高校の時、アッコが憧れたきれいなフォームだ。 

 うん、格好いい。やっぱあたしは由里が風を切って走る姿が好きなんだ。

<続く>

参加者名簿

このお話は『サマスペ! 九州縦断徒歩合宿』の続編に当たります。
(4月から6月まで連載していました)。こちらではアッコは二年生。
先輩になっています。二回目のサマスペ、アッコは脇役なのですが……。


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