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本を、作ろうと思った | 文学フリマ東京38

基本的に思いつきの人間なのだ。
だから、ある日、そうだ、本、作ろう、と思った。そして、気づいたら、文を書き始めていた。

振り返れば、SNSを通じて、仕事を通じて、ずっと文を書いてきた。私にとって文を書くことは、自分自身をなぐさめる手段のひとつなのかもしれない。

なぐさめる。

どうにもできない、行き場の無い感情が、文を書くことによって波が引くように落ち着いていく。私にとっては、文を書くという営みは、そういうことである。

私の中にあるたくさんの、内側であっちこっち、落ち着く場所を探している記憶たち。
それを文にしたら、いいと思った。したいと思った。することで、それらが、なぐさめられると思った。

赤子に歌う子守唄のような、死者に向けた鎮魂歌のような。そういうものだ。

そして本にしようと思った時に書き始めた文は、私の中でずっとそわそわしていた記憶だった。とても愛しくて、でもむかついて、時には悲しく、滑稽で、だからこそとても大切な、そういう記憶だった。

勢いで書き連ねていったら、ちょうど100ページになって、それで本にすることにした。

本を作るからには、誰かに手に取ってもらいたいと思った。とはいえ、必ずしもこれは目的ではなくて、別に、誰にも見向きもされなくてもいい。作りたいものが作れたら、それでいい。
でも、おそらく、必要な人にはきっとどこかで届くとも、なぜか同時に思った。

それにしても、はて、どこに並べるか、と思った時に、文学フリマなるものを見つけ、エントリーした次第である。その間わずか5分。

実際に本にする、それに向けて考えること。装丁、紙、仕様。考えるべきことはたくさんある。

しかしおもしろいもので、まだ当日を迎えていないのに、すでに私は、これをするべきだったのだと確信している。
わくわくする。とてつもなく、わくわくする。こんなに楽しい行程を知らなかったなんて、今まで損をしていたとすら思う。

ひたすら考える。具体的に、どんな本にするか。いや、待てよ。そもそも、本とはなんなのだろう?本って紙?表紙?内容?本って、、、

私の本づくりは、そのような問いから、はじめていくことになったのだった。

つづく(多分3回くらい)


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