しゃけ

大阪府民で兵庫県の大学に通う3年生。 走幅跳10年目、昨年から三段始めました。 センス…

しゃけ

大阪府民で兵庫県の大学に通う3年生。 走幅跳10年目、昨年から三段始めました。 センスがなくても花咲かせるぞ🍀

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①ワクチンが変えた私の人生

幼稚園、年中さんの冬。 インフルエンザのワクチンを受けた。 みんなが受ける、なんの変哲もないワクチン。 これが私の人生を変えた原因だった。 なんだか身体の調子が悪い。手足が痛い。地元の整形外科に行っても 「成長痛。そのうち治るでしょう。」 しかし。 手にも足にも力が入らなくなった。 パジャマのボタンがとめられない。 ドライヤーで髪の毛も乾かせれない。 靴が履けない。 やっぱりおかしい。 別の病院から紹介を受けて、大きな病院へ。 ギランバレー症候群医者から告げられた病名

    • 読書私見:「嫌われる勇気」

      〇本に対する最近の気づき 私は結構本を読むなかで、共感できる!とか、いやあ自分はこう思うな〜とかを色々書き留めて読む癖があるみたい。考えることは自由だから、自分の経験にリンクさせて勝手に「ああ、そうゆうことか」って納得して読んでいる気がする。 小学校の頃、読書感想文を書くのは苦じゃなかったのは多分昔から自分の世界に入るのが得意(?)だったのかなあ、 〇題名の「読書私見」の意味 このnoteの題名を何にするか悩んだ。「読書記録」だとただ読んだだけみたいな感じがしたり(言葉

      • 結果が出なくても「努力」と呼ばれるのだろうか。

        「頑張ってるね」とはよく言われる。でも「努力してるね」と言われることってあまりない気がする。 「努力」ってなんだろう。結果が出て、周りに認めて貰えた時に初めて「努力してたもんね」と声かけられるのではないだろうか。 人は何か目標を作って、そこに向かって頑張ってるもんだと思う。 周りに頑張っていると思われたい、認められたい、思って頑張る人はいないはず。目的がないと頑張れないもん。 でも「努力する」というものは自分しか認めてあげられないような気がする、 大学の投資戦略論とい

        • 陸上9年目。変化が嫌いなんて言ってられなくなった。

          小6で陸上競技を教える先生と出会ってから、徒競走学年ビリでは無くなったものの、陸上部の練習なんてついていけるもんじゃなかった。 うちの中学は顧問の先生がレジェンドでとにかく実績がすごかった。 「地区大会連続春夏男女アベック優勝」 「駅伝全国大会出場」 話している次元が違った。 ただ、私の目の前の目標はあった。 走幅跳2人の枠に入りたい。 当時幅の女子選手は7人。試合に出るには人数制限があって、出れる人はたったの2人。けれども、同期の1人だけが幅から選ばれ、もう1人は

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        ①ワクチンが変えた私の人生

          明日(6月18日)に何があったか忘れないで

          2018年6月18日。朝8時2分。 この時私は高校2年生。 いつも通り「あ、時間ない」って思いながら 自転車爆走して学校に向かってた。 急に視界が歪んだ。自転車がまっすぐ走れない。 大阪北部地震が起きた。 私は地震だなんて思わず、何か病気になったと思った。すごい目が回る病気。 よく芸能人が人間ドックを受けて、診断結果とともに出てくる、その病気になった時の映像、みたいな。あれをすぐ思い出した。 いや、違う違う。ケータイ鳴り出した。車が止まり出した。電柱揺れてる!あ、地震

          明日(6月18日)に何があったか忘れないで

          ③継続は力なり

          小学校の時学年で運動会徒競走ビリが、大学まで陸上競技を続けるようになるまでの話です。 1話目はこちらです! 小学校6年生。 担任の先生の勧めから、先生が率いる陸上クラブに入った。 でも、すぐに場違いだ、って思った。 全国大会を目指す同級生、私よりずっと速い下級生。 みんな何かしらの目標を持ってて走るのが好きで、キラキラしてて。 体力もなくて足も遅くて、自信がない私とは 大違い。 リレーの応援だって、「大声出すの嫌だなぁ、でも小さい声だとやる気ないって思われる…それも嫌だな

          ③継続は力なり

          ②階段を1人で"登りきる"体力無し。そんな私が陸上を始める。

          2007年2月。 ギランバレー症候群発病から約1ヶ月。 歩くことも、自分で靴を履くことも出来ないまま退院した。 幼稚園の階段なんて登れない。("上る"ではなく"登る"。私にとって山登りレベル笑)、 でも先生はリハビリのために補助してくれない。 毎週の病院のリハビリも思うように身体が動かないことが悔しくて、情けなかった。 小学生になった。少しは走れるようになり、体育の授業も遅れは取りながらもなんとか参加できるようになった。 けれども運動会の徒競走は毎年ダントツビリ。 発

          ②階段を1人で"登りきる"体力無し。そんな私が陸上を始める。

          恐る恐る始めてみた。note。

          「どんなに小さな蕾でも、地道にコツコツ頑張れば やがて大きな花が咲く」 だいすきなコブクロ、YELLの歌詞を私なりに解釈したこの言葉がずっとわたしを支えてくれている。 11年前の、2007年冬。こんなことになるなんて思ってもなかった。人生が180度変わったってやつ。 でも、この出来事がなかったら今の私は100%いない。絶対いない。 幼稚園の運動会でそこそこ速かった私が、一瞬にして小学校5年間、運動会の50m走でダントツ最下位になったおはなし。 色んな人の話や歌の歌詞

          恐る恐る始めてみた。note。