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あれからとこれから

気が付けば新しい職、場所での1年が経っていた。前進はし続けた1年だったと言えるけど、手ごたえがない。何か目標設定を決めてそこに進んだわけでもなく、とにかくいまできることを一歩一歩進めてきたこの日々は、自分を褒めてあげるにも、なんだか足踏みをしていたような感覚すらある。

3X歳のリアルなところ。仕事ではもうしっかり中堅となり、できることが(できないことも)はっきりしてくる。日々新鮮味は薄れていき、挑戦からも離れていく。どこか”こなしていく”日常。それはプライベートも一緒で、近しい気の合う人との付き合いがメインで冒険をしない。これが大人になっていくということなのか。

一方Instagramでは毎日新鮮なきらきらした日常が流れているが、もう憧れにも焦燥にもならないそれは、どこか他人事のように過ぎていく。燃えるような気持ちがわかなくなるのは、一種の諦念(ずっと’たいねん’だと思ってた笑)なんだろうか。心理を悟ったとか大袈裟なものではなくて、自分に手に入るものとそうでないものが見えてきているというところ。

2015年に海外を渡って仕事を始めてから、だいぶ自由に過ごさせてもらったように思う。そんな自分の新しい居場所を作ってくれる周囲の人々と、帰国時に受け止めてくれる家族と友人たちのおかげで寂しさも感じず、毎年訪れる誰かとの別れを受け入れながら見送りをする。

ふと頭をよぎるのは”いつまでこの生活を続けるのか”。アジアに住み続ける覚悟はまだない。日本も好きだ。どのタイミングで決断するのかは、いつも片隅にある。きっとアジア生活はやりきった、と思える何かが欲しい。日本で働くために生かせる経験ができているのかは手探りだけど、たぶん日本へ本帰国する時は、もう一度帰ってくるつもりでは帰らないだろうと思う。

そう妄想して振り返るだけでも、アジアでの日々はとてもきらきらと愛おしい。人との繋がり、現地のエネルギー、自分が別な国にいる実感・・・生きている手応え。どれだけ元気にしてもらったかわからず、環境を全て変えてしまったこの場所になじみすぎて、元々の自分の居場所ともいえるところへ帰るのが少し怖いと思うくらい。

まだしばらく、がどれくらいになるかわからないけれど、きっとそれは永遠ではないことを確信している。終わりがあるということは、今から全てが残された日々ともいえる。後悔のないようにって月並みだけど・・・次のチャンスに向けて着実に準備していきたい。それはこの土地を去る後悔に対して、自分自身ややり切りたいことに向き合うことであり、別な場所へ向かう時に力のなさに後悔するのでなく、1つ成長した自分で進みたいということ。

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