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教師は天職?

これは忘れもしない私の毒父が言った言葉だ。
実は続きがある。
「教師は天職だが、所詮公僕に過ぎない」
毒父らしい皮肉を込めた、私へ向けたある種の”呪い”とも取れる言葉だ。

教育という行為は、人間が社会の中でよりよく生きていくために必要不可欠なものだと思う。様々な学びを得ることが、自分自身もひいては社会の豊かさにつながるものであるからだ。

教育は、単に学校だけで行うものではないはずだ。家庭や地域社会でも教育を行うことはできる。しかし、実態は、家庭や地域社会で本来行うはずの内容も全て教師に求められている。
それどころか、保護者は教師の学歴、年齢、性別で接し方を変えてくる。面談や保護者会に来る保護者の多くは母親であることが多いため、若い女性教員に対しては当たりが強くなる。
かく言う私自身も一部の保護者から「若いから心配」「子どもを産んだことないのに偉そうに言うな」「いつ結婚するの」などと言われてきた。
管理職は保護者からクレームが来ることを一番に恐れているため、どんなことがあっても私たち教師のことは守ってくれない。
保護者からどんな人権侵害な言葉を浴びせられても笑ってやり過ごすしかなかった。

今の学校組織も教育委員会も、絶対に現場で第一線で戦っている教師を守ってくれることはない。
どんなに現場の教師が苦しんでいても、助けてほしいと言っても、保護者から地方議員を通してクレームが来ない限り、管理職は様子見で絶対に動かない。
地方議員を通じてクレームが入れば、急に慌て始め、第一線で戦っている教師を糾弾し、対応してるアピールを教育委員会にするのだ。管理職は言うだけで何かしてくれるわけではない。誰も救われない悲惨な現場にこれまで何度も居合わせたし、実際その渦中にいたこともある。
本当に誰も幸せにならない現場がまさに今の教育現場と言えるだろう。

教師は天職かどうか、答えは一人一人違うだろう。
天職だと答える人を否定はしない。
でも、私はこの6年ちょっとを振り返って、残念ながら天職だとは思えなかった。
現状の学校組織や教育委員会の体制、ひいては社会の教育に対する理解が変わらない限り、教師という仕事が天職になることはないだろう。


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