小川雅

工学院大学准教授。博士(工学)。 安心安全デザイン研究室代表。 材料力学と西田哲学の2…

小川雅

工学院大学准教授。博士(工学)。 安心安全デザイン研究室代表。 材料力学と西田哲学の2つを専門として、 ものづくりメーカなど、組織の安心安全文化をサポート。

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大学=「個性」をのばすことで短所を補う

大学とは、長所をのばすことで短所を補う場でありたいと、そう願っています。あなたの欠点には興味がありません。いかにその光るところを見つけられるか、それをのばせるか、それが私の大学教員としての教育の役目だと思っています。 本田宗一郎とともに世界のHONDAを創った藤沢武夫さんの言葉に、こんな言葉があります。 欠点があるかないかよりも、もっと大切な「何か」が問われていますが、さしあたりそれを「個性」と呼ぶことにします。 大切なことほど目に見えない。だからこその哲学。 安心安

    • 大我と小我

      「私」というものについて、この国では古くから大我(たいが)と小我(しょうが)とを明確に区別してきました。 小我は物理的・精神的・意識的な私として、対象として捉えることができるのに対して、「本来の自己」と位置付けられる大我は小我のように捉えることができないため、それを際立たせるための哲学が必要です。 ここでは、2400年の哲学の歴史を踏まえた西田哲学の観点から、その違いについて考えてみたいと思います。 小我とは 小我は自我とも呼ばれ、英語ではパーソナリティ(Person

      • AIと人間との違い

        人工知能(AI)と人間との違いについて、西田哲学の言葉を借りて言えば、人工知能は「無を持たない(※)」と言えますが、それでは何を言っているのかわかりません。 ここでは、人工知能の持たない対立無について、西田哲学に立ち入らずに述べてみたいと思います。 ※AIは対立的な無もなければ、絶対無もありません。 まずは結論から 私たち人間は、世界で1つ・1回きりのことについて、その「意味」や「価値」を見出すことができますが、人工知能にはそれができません。 人工知能が捉える「意味

        • 守破離の哲学。

          わび茶を完成させた千利休(1522-1591)の教えを百首の和歌にまとめた利休道歌(りきゅうどうか)。この百首目に次のものがある。 この守破離の3段階のうち、「守」と「破」との違いについて、なるべく哲学用語を避けながらも哲学的に考えてみたいと思います。 ※ご専門の方へ: ここで扱う守破離は、哲学の観念論(守)、存在論(破)、場所論(離)に対応させています。すなわち、「認識」、「自覚」、「行為的直観」の3段階に相当し、西田哲学ではそれらが成立する場所を「潜在有」、「対立無」

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        大学=「個性」をのばすことで短所を補う

          山本五十六のことば

          山本五十六は次の3つのことばを残しています。 一連の歌に、その師弟関係の発展を垣間見ることができます。 やって見せる時には「師」が前に、話し合う時にはその目線まで下りてきて、見守る時には後ろにいます。 当時、東京工業大学教授の中村春夫先生は、この3つを聞いたとき、即座に「冬がない」と仰った。「人を動かし」、「育て」、「実らせる」という一連の流れは、それぞれ「春」、「夏」、「秋」に対応すると。 やってみせ、~人は動かじ。・・・春 話し合い、 ~人は育たず。・・・夏

          山本五十六のことば

          「主体的な学び」から「中動的な学び」へ

          かつて、日本の学びは詰め込み教育と言われ、「受動的な学び」でした。それは当時の社会背景を考えれば、合理的なものであったかもしれません。 その後、コンピュータ技術やインターネットも発達し、「受動的な教育」に対する見直しの観点から「主体的な学び」が叫ばれるようになってきました。 ただ、チームワークを必要とするものづくりの観点からは、「受動」を否定した「能動」であっては、独りよがりとなる危険性があります。 「受動」も「能動」も大切にする「中動的な学び」こそ、これからの教育に

          「主体的な学び」から「中動的な学び」へ

          「出会い」×「意味」=「出逢い」

          私たちは日々、数多くの出会いに満ち溢れていますが、その1つ1つに何を見出すかは、人それぞれではないでしょうか。 「出逢い」は、物理的な「出会い」とは異なり、そこに何らかの「意味」が込められています。 それは、その時には気づかなくても、後になって際立つこともあるでしょう。 「出会い」を「出逢い」と知り、その好機をつかむには何が大切でしょうか。 世界的な発明も現れてしまえば、誰にでもできるかのように思うかもしれません。しかし、その考えと実行に至るかどうかは、紛れもなく実力

          「出会い」×「意味」=「出逢い」

          「見る」と「観る」

          宮本武蔵の五輪書では、「見(けん)の目」と「観(かん)の目」の2つが登場します。哲学的には、「見る」を認識、「観る」を自覚といいますが、日本のものづくりには、見観の両目を養うことが大切です。 ここでは「見る」と「観る」について、哲学的な用語をなるべく避けて、その違いについて述べたいと思います。 「見る」 「見る」とは、「自我の目」、あるいは「比較の目」でものをとらえることを言います。科学の「科」は「わける」という意味がありますが、比較をしたり数値化するためには、それらを

          「見る」と「観る」

          就活生の親御さんへの3つのメッセージ

          安心安全デザイン研究室では、就活は最優先です。それは、就職活動というものが、単に「決まればいい」というものではなく、就活そのものが学生にとっての大切な学びの場であり、成長の場であると信じるからです。 ここでは、学生の就職活動を見守る立場として、また学生教育の視点から、親御さんへのメッセージを3つだけ述べたいと思います。 1.就職活動=社会人としての準備期間 就職活動は難儀も多く、誰もが早く終わらせたいと願っているのではないでしょうか。もちろんそうなのですが、苦労が多い分

          就活生の親御さんへの3つのメッセージ

          どうして日本のものづくりに『見えないものを観る力』が必要か?

          令和時代の日本のものづくりには、見えないものを観る力が求められています。主な理由は3つです。 中国をはじめ東南アジア諸国の技術力の向上 ⇒ 同じものを作る(見えたものを見る)だけでは勝てない 「知的財産権法」の整備 ⇒ 最初に考えた人(見えないものを観る人)の権利が守られます 安心安全なものづくり ⇒ 事故が起こる(見える)前に気づくことが大切です ここでは、見えないものを観る力=先見性の発揮について、その背景について述べたいと思います。 1. “科学技術強国”中国

          どうして日本のものづくりに『見えないものを観る力』が必要か?