見出し画像

日常の足元を忘れないこと/Rikuzentakata

11月17日〜20日、岩手県陸前高田市広田町へ。

今回は、いつもお世話になってる&仲間である家族の長女の七五三があったので駆けつけました。
また今回も先月に引き続き写真をいーーーっぱい撮りました。石巻にある猫島にも寄って帰ってこれて、とっても心が満ち足りています。

撮った写真をどんなふうに見せようかなあ〜とずっと考えていたんだけど、今回はまずこの記事でハイライト的にごちゃっと4日間のいろんな写真をお楽しみください。























いつも、何かを感じていた時間を過ごした後、「この時間は何だったのだろう?」と消化したくて、白紙のノートにすべてを書き殴ります。

この写真たちはなんなんだろう?と答えのなさそうなことをいつも考えてしまいます。
そんなとき、ふっと読み返していた書きなぐりめもに書いてあった、

「日常の足元を忘れないでほしい」

ということば。
今回の旅はそんな言葉がしっくりきました。
ある雑誌に出てきた言葉です。

自分たちの日常がどこから来ているのか、誰の何によってもたらされているのか、知っておこうよ。ということでした。
食べ物や生き物がどうやって、誰によって育てられて(生産)、どうやって届けられるのか。(流通)
日常は、案外脆くて、前触れもなくひっくり返ってしまうかもしれないと知っているから、それを伝えていく責任があるかもしれない、と。

話者は、小松理虔さん。「たたみかた」という雑誌です。

自分がこの町の人を撮るとき、どういう気持ちで、何を考えて挑むのか、
今はまだ上手く言葉にできません。
3年間も通ってきたというのに、いざ写真家のマネ事をしてみると、難しいのです。
はっきりと言葉にしてしまうことで、たゆたうような余白をなくしたくないのかな。

でも、この「日常の足元を忘れない」という言葉にはヒントが隠されていると思います。
この町には、そんな空気がある気がするから。

目の前のものが何によってもたらされているか、とてもわかりやすいからだよね。
自然という余白と恵みがあって、一緒に生きるような。
でも、そんな綺麗事だけでは成り立たない厳しい現実が同時にあって。

それを感じて知って生活できるからこそ、ちゃんと伝える手段として写真を撮る、言葉を紡ぐ技術も磨いていきたいものです。

さて、そんな「日常」的テーマで今回の陸前高田きろくは写真をとつとつ載せていければと思います。今回めっちゃ撮れ高が、自分的によいです。

半年前より写真少しはうまくなったよ、わたし。笑
みなさん、よろしくね。
---

PHOTOS
の陸前高田。
すすきはそこらじゅうに生えてただ揺れているだけに見えてよく見るときれいな変な草です
近くで穫れるサンマは日本一のサンマです
柿が干されるのも、大根が干されるのも、鮭が干されるのも、みーんなかわいいです
”どんこ”っていう魚は内臓がでちゃうのでぐろいです
その”どんこ”を獲ったじいさんがどんこ越しに笑っている写真はとてもお気に入りです
おばあちゃん猫のハナちゃんは、病気と戦っています
晴れた日に沖での仕事を撮らせてもらえたのが一番うれしかったです

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?