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【エッセイ】秋田に想いをよせて。バレエで出会った心の故郷

時がすぎるのは、一瞬だ。秋田を離れて、もう3年が経とうとしている。
新宿の高層のビルの隙間から見える抜けるような青空が、砂漠の水のように感じる。
広い空が恋しい。

私が秋田に初めて行ったのは、小学校6年生の夏。バレエコンクールの東北大会に出るために、初めて降り立った。結果は予選落ち... バレエの道を志していた私はショックで、決戦出場者が貼り出された大きな紙を前に、声を抑えて、泣いたのを今でも覚えている。

幼い時の挫折や苦しさは、年を重ねて感じるものとは違う、それまでの瞳をキラキラとさせていた姿とは一変、光を失ったような絶望感に包まれる。

遠くをぼーっと眺めているような私をみて、付き添いの家族は翌日秋田の海へ連れ出してくれた。

初めて見る日本海の真っ青な海。砂浜はなく、岩場に打ち付ける波と水しぶきが新鮮だった。岬までいくと、原っぱがあって、そこから地平線を眺めた。蒸し暑さはなく、涼しい海風が心地よかった。

こんな青く美しい海があったのか…   私の存在を優に越えた次元がそこにあった。 自我を越えた存在に出会い、全てを清らかに慰めてくれた。

口にするものも、すべてが新しい体験だった。バレエは厳しい減量があって、食べることを躊躇していたが、漁師の奥さんたちが切り盛りする海辺の食堂があって、屋根はビニールでとても綺麗とは言えないお店なのだが、出てくるお料理のおいしさに、私は箸が止まらなくなった。普段は食べないお米を何度もお代わりしたのを覚えている。

後にも先にも、今まで食したものの中で、最上級のおいしさだと思う。

これが、秋田との出会いだった。 それから美しい海と舌鼓した思い出はいつも心のどこかにあって、いつかまた行きたいと願っていた。

月日が流れて、私がまたこの場所に10年も住むことになるなんて、知らずに...


*私の思い出の場所 私が見た海 “男鹿半島”









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