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東海道三十七次①

こんにちは、Ricardoです。

今回は8/16-17にかけて、東海道を『桑名宿(三重県)』から『藤澤宿(神奈川県)』まで、ロードバイクで走りました。

今回は、その感想というか日記というか、そんなものを書きます。

【東海道三十七次】など大げさなタイトル書きましたが、実際に37の宿場町すべてに立ち寄ったわけではないので悪しからず。

「2日で帰る」という制限のなか、道中寄れそうな宿場町に寄ったという感じです。

要は自己満です。よろしくお願いします。

東海道1日目

東海道は、古くから既に存在していました。いわゆる”五街道”として本格的に整備されたのは江戸時代に入ってからです。

今回は歌川広重の「東海道五十三次」ならぬ、上述の桑名~藤澤間を「東海道三十七次」して参りました。

ちなみに現在では、「東海道」といわれると新幹線などのイメージもあり、東京~大阪間を結ぶという認識が一般的かと思います。(自分だけだったらスイマセン…)

ですが、歌川の”五十三次”は日本橋(東京)~三条大橋(京都)を描いたもので、大阪までは「京街道」といったものが整備されていました。

つまり東京~大阪間には、(三条大橋までの)53宿場+(京街道中の)4宿場=57の宿場が存在するのでした。

そんな東海道の道中にある『桑名宿』がスタート地点です。

『桑名宿』は現在の三重県桑名市にあり、ここから東へ次の宿場(『宮宿』現在の愛知県熱田神宮)に進むには〝七里の渡し〟と呼ばれる名の通り、七里(28キロ)を海路で往く必要がありました。

長良川・揖斐川・木曽川の木曽三川を渡らないといけないので、江戸から遥々やって来てからの28キロの船路は体にこたえそうですね。

そんな人のため(?)なのかは知りませんが、「佐屋街道」なるものもあり、結局は三里ほど船路になりますが陸路もあったようです。

こうした海路で結ばれた『桑名宿』ー『宮宿』ですが、当時の東海道では両宿とも屈指の旅籠屋数を誇り、『宮宿』に関しては国内一の宿場町として賑わいました。

ちなみに旅籠屋というのは、今でいう普通のホテルと思ってもらって構わないと思います。(多分)



いきなり話が脱線しましたが、とりあえず出発です。

本日は府中宿(静岡市)を目指します。

前の記事からご覧になっていただいている方は、(あれ?チャリ変わってね?)とお気づきの方もいますでしょうか。てか読んでる人がいないか。

そうです。変わりました。PINERELLO PARIS 2021 です。

自分史上最高額のお買い物でしたが、今回の道中が意外にも快適だったのはコイツのおかげが大いにあります。お金をかけるってスゴイですね🥺

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バックパックにはPCとかガジェット類が入ってるので水没厳禁

ちなみに、私が愛用するMillet KULA30Lを背中に東海道を往きます。

サイクリング用でもない普段使いバッグパックを、ロングライドで背負って走るなんて割とリスキーなお話。

(途中で腰が爆発したらどうしよう...)と色々考えていたんですが、この新しいロードバイクは〈エンデュランスモデル〉。

要は、「快適に長距離走れるよ~」がコンセプトなので、一か八かの大博打でバックパックを背負っていくことに!

腰の生死やいかに…!?

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ここから日本橋まで382.5kmらしい…

桑名市の国道1号線に出て参りました。まだ朝の6時半なので、人も車もいません。

そして、今回一番懸念しているのは天気!

このとき九州や中国地方では記録的大雨を観測しており、前線が東海地方にも及んでいます。

一応この日は曇り予報ではあるのですが、さっそく怪しい空模様でした。

にしても、毎年のように記録的な大雨を記録していますね。

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桑名宿は東海道二番目の規模を誇る宿場町でした

さあ、というわけで早速次の宿場町「宮宿」に向かいますが、もちろん〝七里の渡し〟なんかしません。

時代は令和。木曽三川には立派な橋が架かっていますので、そちらを通り宮宿を目指します。

とりあえずの目標としては、浜松にお昼頃到着でいきたいなという感じで、愛知県内は漕ぎ続けました。(宮宿なんとスルー😅)

途中、「桶狭間古戦公園100M右折」といった看板が目に飛び込み、何んとなしに立ち寄る。

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左が織田信長、右が今川義元

桶狭間の戦いというと、あの織田信長が名をあげた戦いとして有名ですが、その割にはショボいなというのが本音でした。

まあでも銅像がかっこいいので撮影だけして、あとトイレを済ませて去りやす。

こういう感じで史跡に寄るの楽しいなと思う一方、こんなことしてたら静岡市に到着するのいつになるんだ!?といった葛藤が沸き起こっていました。

ちなみに、今日の道中で一番楽しみな名所は、宇津ノ谷峠にある「明治トンネル」です!

明治9年(1876年)開通のトンネルで、登録有形文化財に指定されています。

ただ、場所が峠の旧道にあるということで、日没後に行くわけにはいきません。何とかたどり着きたいですが、宇津ノ谷峠は1日目の行程のほぼ終わりに位置しているので、ちょっと厳しいか…?

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ちなみに、この時点でガッツリ雨に降られています!

と、思いつつ、また写真を撮るために停車。これじゃ間に合いそうにないですね。

こうした松並木が東海道では随所に見られたようで、当時の姿を今に伝えます。

松並木はこの後何回も見かけましたが、「街道を往く」感じがして良かったです。

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東海オンエア以外に何があるっけ?

岡崎市に入りました。

岡崎と言えば、個人的に東海オンエアです。(さっきまで史跡とか言いながら、いきなりアホっぽくてすいません)

田舎だとは思っていませんでしたが、想像していたよりも大きい街だなといった印象でした。

高層マンションをみかけては、(ここに誰かメンバーが住んでるのかな?)な〜んてことを考えながら市街地を抜けました。

ちなみにこの段階で時刻は9時半頃なので、目標のお昼頃浜松に早くも暗雲が垂れ込めてきました。

なので、ここからは浜松まで極力ノンストップで行くぞ!!

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雰囲気最高

と意気込んだ矢先、国道1号からわきに逸れていく旧東海道の誘惑を断ち切れずにまたまた停車(笑)。赤坂宿です。

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バテレン云々とか書いてありました

赤坂宿には、こうした立派な高札場の再現まで施されていました。

大学受験以来ほとんど触れてこなかった古めかしい言葉遣いの文章を読むのに早々にして飽き、先を急がねばと思い切りペダルを踏みこんだら、夏場とは思えないほどの寒さを感じました。

実は名古屋を過ぎたあたりからずっと本降りでして、全身びしょ濡れ状態でした。

(いや~これ風邪ひきそう、てかひく~。)悪天候で東海道中を決行したことに若干後悔します。夏も盆過ぎなのに暑さじゃなくて、寒さとの戦い...。

ただ、雨宿りしてても進まないのでココは男として(?)風邪ひく覚悟で漕ぎ続け豊橋に到着!

ちなみに豊橋って路面電車走ってるんですね。知らんかったです。(写真は無いです😅)

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江戸行きの東海道でココの区間が向かい風なことあまり無いらしいですが、この日はフツーに向かい風でした。つらい。

そして!ついに静岡県!湖西市!

浜松の手前まで来ました。時刻は12時半(笑)。

ここから所謂”魔の静岡区間”スタートです。

静岡県を過ぎれば、もう神奈川県なんでホームに帰ってきた感もあるんですが、いかんせん静岡県が東西にでかすぎる。

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新居宿舞坂宿間も渡舟区間でした。(今切の渡し)

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複数のカップル横目に撮影。天気悪し。

浜名湖~。普段は東海道線か東名高速からしか見ないので、久々に来ました。

体は冷えてるものの、とりあえず雨は止んでいるので急ぎ浜松を目指します。おそらく到着は13時半?

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アクトタワーはいつ見てもカッコいい!!

市街地に到達。名古屋以来の都市部なので謎にテンション上がりました。

にしても割と想定より遅れてしまったので、途中でコンビニ休憩を挟んで磐田~島田は急ぎ走りました。

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意外と河川敷で遊んでいる人も...

これは天竜川です。連日の雨で結構濁流になってる感じがしたんですが、普段はどうなんですかね。

東海道中の川渡というと「越すに越されぬ大井川」を想起しますが、”暴れ天竜”でこの様子なら大井川はどんな状況なんですかね…

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掛川宿に差し掛かり、ようやく晴れ間が

静岡県中部に差し掛かって参りました。

静岡県を西部・中部・東部に分けるなら、西部は工業。中部はお茶。東部は観光資源。といったイメージです。

これから向かう日坂宿金谷宿の間はちょっとした登坂が待ち受けています。

今回私が走っている東海道の名古屋~東京間って、まともな登坂が箱根くらいしか本当に無いので、ヒルクライム好きな私としては少し楽しみでした。

また、金谷宿へ下る際に眼下に広がるであろう茶畑の風景も東海道中の楽しみのひとつです。

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日坂宿の本陣跡。急に暑いやん。

ただいま時刻は17時。写真を撮ってる暇は毛頭無いのですが、旧街道の雰囲気が良すぎて欲に耐え切れず自転車を降りちゃいました。

日坂宿にも立派な高札場が設けられており、東海道を往く者としては、こうしたお出迎えのされ方は(宿場に着いたな)という感じがして嬉しいです。

が、府中宿まで後35kmも残っているので、写真撮影もつかの間。

久々の登り&ここにきて右ひざ痛に悶えながらヒルクライム。

案外に登るもんで、道間違えたかな?と不安になりましたが金谷宿手前の茶畑とその向こうに見える島田市街地が見えて一安心。

雨上がりの空気のなか夕陽に照らされる光景がとってもGoodでしたんで、写真撮りたかったんですが、陽が沈みそうなのと久々のダウンヒルに「止まりたくねえ!」の気持ちが勝り撮りませんでした…。後悔。

さて、島田市ということは大井川なわけですが、ここにきて前述の「明治トンネル」が宇津ノ谷峠の旧道。のそのまた旧道にあることを知りました。(友人からのLINEで)

(日没後にそんな所うろつきたくねえ…。けど、明治トンネルはなんとしても見てぇ…。)

と頭でグルグル考えてうちに「越すに越されぬ大井川」をあっという間にパスしちゃてました😅。あれま。

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200キロを切った…!!

なんとか宇津ノ谷峠を明るいうちに…という一心で漕ぐこと20キロ。藤枝市には目もくれず、、

ついに峠手前の看板に「東京」の文字が…!

そして今日の目的地の府中宿(静岡市)にも20キロ弱。

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また東海道中する予定なので、その時こそは…

この先が宇津ノ谷峠ですが、真っ暗。

写真はiPhoneの力で明るさが出ていますが、この暗さで旧道の更に旧道にあるトンネルに行く事を考えた結果…

ヒヨってしまい、行くのを辞めました。🥲

でも、後記としてこれを書いている今、やはり行けばよかったと後悔しています…(なんせ一日目の行程では個人的に一番楽しみにしていた史跡)

また今度来ることを誓い、静岡市街地へ向けもう一走り。

真っ暗だったあたりも徐々に煌々と街の明かりで照らされ始め…

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地方都市感がたまらなく良い感じ!

着きました!今日の目的地の府中宿(静岡市)です!

20時前に到着したので、桑名宿から約13時間半ほどで着きました。駅前は多くの方が帰路についている所でしたが、構わず駅前で撮影させて頂きました。浜松市以来の都会です。(笑)

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徳川家康のお膝元「駿府城」の城下町でした

静岡市ってちゃんと来るの何気に初めてだったので、新鮮でした。

私は国道1号で宿場内に入りましたが、旧東海道は静岡駅北側の両替町あたりを入り組んで通っているようです。

駿府城公園あたりや、新静岡駅あたりをうろついてから、こちらの見附跡で写真撮影。

これにて1日目は終了。

すこし重めで、ハイキングやタウンユースなバックパックを背負って200キロ越えライドをしたにも関わらず、腰を筆頭に腕や背中が爆発しませんでした。(膝痛は元から症状でてました)

これは冒頭に書いたようにニューバイクのお陰なのでしょうか…?

まあでも今日は登りがありませんでしたから。明日は箱根越えがありますので、真価が問われますね。

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フロントの方の対応がめちゃ良かった

こちら本日のお宿である「静岡第一ホテル」。

めちゃくちゃ暗いし、古そうな感じです...。

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おそらくホテル内は綺麗にリノベされる感じ

が、なんとここ、ロードバイクをバラさずに室内に入れさせて頂くことができました。うん十万円もするロードバイクを外に放置して寝るなんて、とてもじゃないけど安眠できそうにないので、本当にありがたい話です。しかもバラさないでOKとか最高!

さらにバイキングの朝食付きで3,500円とは。安すぎ。

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高いから基本は発泡酒or新ジャンル。ゴールドスターと淡麗が好き

セブンイレブンで買った夜ご飯とビールで乾杯。このあと、ベッドでスマホ触ってたら一気に体が重くなりました。(笑)



というわけで結構長くなりましたので、2日目の工程は別記事でアップしてみます。