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2022/11/04 窓はたくさんあった方がいい

 5時35分起床。すっかり暗いまま。季節は進んでいると思う。そんなには寒くない。弁当と朝食を作る。課外で6時20分に起床する息子1の起きるまでにやりきる予定。

照明の当て方、難しい。

 ノープラン弁当。豚焼肉と酢れんこん、だし巻き、ピーマンとミニソーセージ炒め。赤ピーマンを買ったのだけど結局甘い。もう色付きは甘いの認識でいいのだろうか。酢れんこんと書いたけれど、私の中では「酢ばす」。打ち込んで変換したら「スバス」とか「酢BAS」とか変なのが出てきて、候補の下の方に「酢蓮」があった。はすは「蓮」だけど、これも違和感。ということでサッと「酢蓮根」に乗り換え。

 ノープランでやばいやばいと思いつつ作ったものの、弁当はちゃんと間に合った。昨夜何故か眠れず睡眠時間は4時間台。頭がはっきりしないどころか、やる気もあんまり。あるものの、やるべきことはやる。

 私の軸足は短歌だと思っているものの、今は短歌にそう気が向かない時期。このところドローイングとかイラストを再開したので、作品をネットに上げる。ちょっと前からあちこちのSNSに載せている。気分が変わって良し。

 午後は片付けもの。私のものを整理。整理って難しい。書簡とかアルバムとか写真とか思い出の品とか、どこまでが必要なのだろうか。広げたものの呆然。まずはいらないものを選別して分類し直して箱に収めた。私はダンボールを愛用しているのだけど、あまり良くないのはわかっているのでコンテナボックスみたいなある程度密閉もする丈夫なものに入れ直すべきだな、と思う。
 すべて片付けてから、あああれも捨ててよかった、と思い返す。大胆に物を捨てる方法は断捨離の先達たちが推奨するやり方がいいのかもしれないけれど、すでに結構削ぎ落としている場合は見て、捨てて、収めて、考えて、また開いて捨てて…こんな繰り返しをしていくしか無いのではないか。

 夕方遅く楽器練習。地道にやるしか無いと心を無にしつつ。こんなんじゃ駄目だとか、ネガティブの種はそこここに落ちている。無視すれば問題ないものに水や栄養を与えて大きく育ててしまわないようにするには、地道に、心を無にするしかない。そもそも実のところ、私はプレーヤーとしては2年半前に終了している。今回の復活は子のため、それのみ。ここから私は何を見出すのだろうと思いつつの練習。

 短歌や文章を作って、絵を描いて、編曲をし、楽器を演奏して。全てで私なのだけど、私という人を外から見る際には必ずどこか一点、見たい人が見たい一点のみをフォーカスされる。例えば私だったら短歌一筋にやってきたみたいなストーリーが好まれる。そして、そういうストーリーを普通に持っているのだろうと思われている。
 痛くもかゆくもないけれど不快だ。もっと言えば私、お茶もお花も免許持ちで教える資格もあるし、ある武道の段位持ちでもある。これら全部があって私。わかりやすい話を好まれるのもわかるけれど、そういうのを突きつけられ続けると、なんかそういう方向以外の活動は良くないのかね? といった気になってくるから不思議。

 人はいろいろ、窓を持っていたほうがいいと私は思っている。それ一筋のそれが調子悪くなった時にそれしかないと、にっちもさっちもいかなくなる。ここ数年の自分を見ていて、あっ違うな、と思ったので今大きく方向転換中。
 ということで、私は私が良いと思うことは全部大切にしてやるべく、絵を描くことも演奏も再開してみることにして、今。慣れてきたら、作編曲を動画アップとかオタマトーン動画とか、いろいろやってみたい。

 晩飯は作れなかった。晩飯づくり時間に体調沈没。1日の予測に失敗した。晩飯の保険をかけておくべきだった。次はしない、と思うし、そう思う時、おお私やる気あるんだ、と気づいてびっくりする。

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