小出邸/堀口捨巳 建築探訪 その12
江戸東京たてもの園の続きである。今日は前川國男邸の隣に建つ、堀口捨巳設計の小出邸を書きたい。
2月20日に投稿しているので、思い出される方もいるかも知れない。あの「分離派建築会」を結成し、オランダの近代建築を初めて日本に紹介したあの堀口氏である。
その堀口氏設計の小出邸が有ったのである。正直に言うと、前川邸を見に行ったので、隣家の入口にその堀口氏と掲示板があり、びっくりである。
で、画像を交え書いていきたい。が前川邸の様なチカラは入らない。ごめんなさい。
最初に見た結論を書く。
近代建築史で言うと貴重な住宅作品なのだろうが、正直モダニズム建築教育を受けてきて芯の髄からモダニズムの自分には、何が良いのか今一わからなかった。藤森先生に教えて貰いたい。
と、ここまで書いて、手元の「昭和住宅物語」藤森照信著を見返した。P81に 巨匠も若い頃は…堀口捨己と小出邸・岡田邸 とあるじゃん…著頬。で、それについては明日触れるとして、素直に実感を。
この住宅は2階建てだが、玄関方向から見ると平屋に見える。屋根は方形(正方形)と陸屋根(平らな屋根)の混成。
外観は洋風だが、内部は和室が多く、客間だけが洋室
ここには、分離派建築会らしいデザインが、されているが、インテリアなので、正直物足りない。
この格子組にデザインされた天井が分離派らしいのであろう。
階段のデザインは、1段目が広くなり、手すりのデザインもされているが、如何せん急であり、当時はこれが普通だったのだろう。今なら危険と言われる勾配である。
2階も和室だけで、特に興味を引くものは無い。
実はこの「引き分け猫間障子(関東猫間障子)」自体は、初めて見た。
2階には和室が2間続きである。
以上で画像と説明は終わりである。
再度書く。近代建築史で言うと貴重な住宅作品なのだろうが、正直モダニズム建築教育を受けてきた自分には、何が良いのか今一わからなかった。
最後に、掲示されて説明板を追加する。
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