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麦畑の家... / 原風景 その2

その家に急いで引っ越してきたのは理由があった。その4月に私がその地区の小学校へ入学する予定だったからだ。慌ただしい引っ越しの数日後、小学校の入学式の前日母に連れられ歩いて行った。子どもの足で歩いて20分のところに学校は在った。
通学する道は、畑の中を通る新光開拓通りで、それを北へ向かって歩くと赤松林があり、その林の中の薄暗い小道の先に小学校はあった。

母と一緒に歩くのは、好きだった。元々色々なことを話してくれたり、私の質問に丁寧に答えてくれるので、話しながら一緒に歩く時間は楽しかった。

小学校は木造平屋の校舎が3棟ある、その地域では普通の小学校だった。
翌日の 入学式には、母親は自分の勤務する学校の入学式があり出られず、お手伝いのお婆さんと一緒に行った。
その入学式に出て、驚いた。なんと父親が式の司会をしていたのである。
その時から、昼も夜も父親と一緒の6年間が始まった。

私の両親は、小学校の教員だった。父は私の通う小学校で、母はその隣の小学校で教えていた。
父は6年生の担任で、1日に1回は私がいる1年生の教室に来ていたのを覚えている。教え子に私のことを頼んだようで、よく帰宅後6年生の家に遊びに行った。
そして同級生からは「先生の子」と呼ばれ、特別な目で見られた。
なぜ父親が息子の学校にそのまま務めていたのか、聞かずじまいだった。
6年後、水戸の私立中学へ進学し、そこに父が居ないことで、ほっとしたのを覚えている。
曲がったことが大嫌いな父に、悪戯や悪いことをしてよく、頬を叩かれた。口よりも手が先に出る昭和の父親だった。それは、私が中学生になるまで、変わらなかった。
そういう時代だったし、そういう父親だった。



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