池袋晶葉ちゃんと水本ゆかりちゃんのポテトチップス

 ゆかりは机の上にカードを並べた。全部で五枚ある。赤ちゃんのコスプレをしたゆかり、眼鏡をかけたゆかり、剣を構えたゆかり、十二弦ギターを構えたゆかり、カブトムシのコスプレをしたゆかりの姿がプリントされたカードだった。ゆかりはしばらく黙ってカードを眺めていた。

「ゆかり、なんだそれ」

 後ろから同僚の晶葉が声をかけてきた。カードに気がついて寄ってきたのだろう。ゆかりは振り向いて答えた。

「私の新譜の特典です。CDにこのカードが一枚同梱されているんですよ。ランダムに」

 晶葉はカードを覗きこんだ。いろいろな格好をしたゆかりがいろいろな表情を浮かべている。

「ふーむ。五枚全部コンプリートしたければCDを五枚買えという戦略だな。金を稼ぐ仕掛けか。でもそれなりに変わった写真ばかりだな」

「そうですね。赤ちゃんとかカブトムシの格好なんてしたことありませんでした。まあ、楽しいお仕事ではあったんですけど……」

 言葉を濁したゆかりに晶葉は口を挟んだ。

「けど、なんだ?」

 ゆかりは視線をカードに戻したあと、晶葉を見て言う。

「変わった格好をした私を見て、ファンの皆さんが喜んでくれる。でも、私はいつもいつでもこういう格好をしているわけではありません。いつもの私とコスチュームした私、どっちが高く評価されるんでしょうか。いつもどおりの私の姿は、あまり好まれないのでしょうか」

 そう言うゆかりに晶葉は無表情でコメントした。

「そこは『個』の問題じゃないか」

「『個』?」

 唐突な単語の登場に面食らうゆかりに向かって晶葉は淡々と述べた。

「いろいろな格好をした女の子が好きなんじゃなく、水本ゆかりがいろいろな格好をしているから好きなんだろう。ゆかりのファンや、ゆかりに興味が湧いてきた人にとっては、まずゆかりというアイドルがそこにいる、という点が焦点になる。だから評価されているのは姿は違えどゆかりという『個』なんじゃないか」

 晶葉の言葉をよく聞いて、ゆかりは宙を見る。

「そんなものなんでしょうか。オプションがついていても、ベースになる私自身はここにしかいない、と」

「そんなもんだと思うがなあ。ところでカブトムシバージョンのカードはちょっとほしいな」

 ゆかりはカードを手に取った。「いま差し上げましょうか?」

 晶葉は微笑んで、

「いらないよ。自分でCDを買って当てるさ」


 その年の七月、ある猛暑の日にひとつの電子機器が発売された。『ダイヴ』と名付けられたそのデバイスは、頭にかぶって起動すると仮想空間の出来事を体験できる機器だった。誰でも多様なバーチャル世界を味わえて、現実を超えた地平がそこに広がっている。内蔵バッテリーが切れるまでの三時間、ユーザーはその世界で架空の人生を謳歌できるのだった。

 『ダイヴ』を起動すると同時に現実世界での記憶はいったん切り離される。そしてバーチャル世界に降り立ったとき、その世界でユーザーが受け持つキャラクターの記憶が新しくロードされる。リアル世界での記憶はなくなり、まったく別の世界に生きる別の人間としての記憶を得るという仕掛けだった。

 『ダイヴ』からログアウトすると、切り離されていた現実世界での記憶が元通りにくっつき、バーチャル世界での記憶は曖昧なログとして記録される。バーチャル世界で野球観戦をした、という記憶は現実世界に持ち越せるが、スタジアムでなにを食べたり飲んだりしたか、選手はどのようなプレーをしたか、周りの観客とどんなおしゃべりをしたか、といった細かい情報は持ち越せない。その記憶をリアルに感じるためには再び『ダイヴ』を起動せねばならなかった。

 バッテリーの持続する三時間という魔法の時間に、ユーザーたちは夢中になった。冴えない男の子でも全校生徒の目の前でギターをかき鳴らすヒーローになれる。ミリタリーオタクはスピットファイアのパイロットとして空戦を体験できた。二次元女子とセックスすることも可能だった。

 『ダイヴ』ブームの中、ゆかりも友達から一緒に『ダイヴ』やろうよ、と誘われたが、なんとなく気が進まなかった。どこか恐ろしさを感じてしまうのだ。自分が別人として生きるということに。

 晶葉なら『ダイヴ』についてどう言うだろうと、ゆかりはぼんやりと想像した。現実の『個』から仮想の『個』に生まれ変わることに、晶葉はなんと言うだろう。

 二週間ほど経って、ゆかりは事務所の執務スペースでパソコンをいじっている晶葉と出会った。近寄ってみると、パソコンのディスプレイに【『ダイヴ』にハマる人々はどんな人々なのか】という記事が映っている。ゆかりは晶葉に言った。

「晶葉さんも興味があるんですか? 『ダイヴ』に」

 晶葉はディスプレイからゆかりのほうに目を向けた。

「ん? ゆかりか。CD買ったぞ。カブトムシのカードゲットしたぞ」

「あー、ありがとうございます」

 晶葉はパソコンに視線を戻す。少しさみしそうな声で語り始めた。

「『ダイヴ』には興味があるというか、むかつくところがあるんだ」

「むかつくって……」

「仮想世界で新しい人生を歩めるというのなら、リアル世界での人生を傷つけていることにならないか? 脳が認識して快楽を味わえるのなら、その快楽の発生源はリアルでもバーチャルでも等価、という理屈もあるのだろうが、だとしたらオギャーと生まれて生きてきたリアル世界の自分は、バーチャルの世界で受け持つ自分と交換可能なのか、というところがむかつくんだよ。いままでのリアル世界で歩んだ人生が取り替え可能なものであったとしたら、なんのためにリアル世界に生を受けたんだ?」

 ゆかりは自分が『ダイヴ』に感じていた恐ろしさがわかってきた。晶葉はむかつくと表現したが、現実の『個』がバーチャル世界での『個』に耐えられるのか、という不安をゆかりは感じていたのだ。晶葉はそれを見透かしているかのような視線でゆかりを見ていた。

「自分の生を傷つけるのは嫌だよ。自分ではない誰かの姿を取るのは精神的に自分を殺めている。だから『ダイヴ』は危険だし、おもしろくないんだ」


 二ヶ月後、『ダイヴ』を販売しているメーカーが、『ダイヴ』ユーザーが持っていたリアル世界の記憶情報を密かに保存し、閲覧可能にしていたというニュースが報じられた。その記憶データがいかように扱われていたかは不明とされていたが、莫大な量の個人情報をメーカー側が得ていた、というのは大きな波紋を広げ、ユーザーたちは『ダイヴ』から距離を置き始めた。


 ニュースを耳にした晶葉は不機嫌そうだった。

「結局のところ、悪事を考えるやつはどこにでもいるんだな」

 その場に一緒にいたゆかりは、こわごわと言った。

「『ダイヴ』に手を出していたら、私の記憶も盗られていたのかも……『ダイヴ』ブームも終わって、世の中も変わっていくんでしょうか」

 晶葉は変わらず不機嫌そうだ。

「結局、『リアルとバーチャルのバランスが大切』っていうのが処方箋になるんじゃないか。バランスって便利な言葉だよな」

「私たちもリアル世界でのアイドルですから、リアルでがんばるのが基本になるんでしょうね」

 リアルの『個』にできることは限られているとしても、それを全力でやるのがプロのアイドルなのかもしれない。まだゆかりも晶葉もビッグネームにはなっていない。けれどいつかはリアル世界に一石を投じられるかもしれない。人間は年を取ると死ぬが、同時に成長もするからだ。

「ところでゆかり、私もCDにカードを付ける商法をやってみたくなったんだ。一緒に企画を考えてくれんか」

「どんなコスチュームをお望みですか?」

「ウサギとか、人型戦車とか……」

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