久川颯ちゃんのスタッツ

 ゲスト出演したラジオ番組の収録が終わり、颯が放送スタジオのドアを開いて外の通路に出ると、プロデューサーがそこで突っ立って待っていた。

「無事に終わったな、颯」

 そう言ったプロデューサーに颯はニカっと笑って答える。

「うん! ラジオに出るの初めてだったけど、楽しかった。こういう仕事もっとやりたい!」

「なら僕もがんばって仕事を探すよ。あー、それと、プレゼントをもらったんだ」

「プレゼントって?」

 プロデューサーはポケットに手を入れて、二枚の紙を取り出した。

「渋谷凛さんのライブのチケットだよ。二枚もらった」

「え、渋谷さんの? ホントに? いつ、どのように?」

「さっき偶然ここに来ていた渋谷さんの担当プロデューサーに会って、共にアイドル業界の行く末について熱く語り合っていたら、ずいぶん仲良くなって、親愛の印にこれをくれたんだ。颯、凪さんと一緒に観に行ったらどうだ?」

「なーとふたりで? ……いや、はーとしては」

 颯はぶつぶつと言った。渋谷凛といえば、昨今のアイドル界隈を代表するスターの一角。その本人のライブとなれば数多のファンが会場に駆けつけ、大いに盛り上がるに違いない。颯が気になるのはそこだった。凛がアイドルなら、颯もアイドル。同じ世界で働いているからこそ、力の差を見せられるのは不安だった。

「はー、Pちゃんと一緒に行きたいな」

 うつむいてそう言った颯にプロデューサーは何気ない調子で答えた。

「そうか? じゃあ僕と行くか。十日後の土曜日だよ」

「うん」

 颯は顔を上げて歩き出した。プロデューサーも横に並ぶ。この男といるときは妙に心が落ち着くと颯はたびたび思う。凛のライブがどんな雰囲気になるかは期待も怖れもあったが、とりあえずプロデューサーがそばにいればなんとなく大丈夫なような気がする。ふたりは並んでラジオ局から出た。十日後の土曜日は晴れるのだろうか、などと思って颯は空を見た。


「お客さんいっぱいだね」

「そりゃ、舞台の主役が渋谷さんだからな」

 十日後、ライブ会場に足を運んだ颯とプロデューサーは満員の観客の一部として、ステージを見つめていた。もうすぐ開演だ。辺りに目を向ければ高校生くらいの男の子もいれば、社会人であろう人の姿もたくさんいた。女性のお客さんも少なくない。凛の歌とダンスを求めて集ったファンたちが胸を躍らせている。

 自分が単独でライブをして、果たしてこれだけの人を動員できるかといえば絶対にできないな、と颯はお客さんたちの間で噴出している熱気を感じながら思い、周囲に反してだんだん冷めた気持ちになってきた。

「ほら、颯。始まるぞ」

「あ、うん」

 スポットライトがステージを照らし、凛が登場した。その瞬間、ファンたちの歓声が爆発し、ライブ会場のテンションはいきなりマックスになる。次いで凛が口を開いた。

「みんな、今日は来てくれてありがとう。最高のステージにするから、楽しんで。じゃあ、いこうか」

 会場が湧き上がり、そこからイントロが流れライブがスタートする。明るい歌、少しさびしくなるけれど優しい気持ちを織り込んだ歌、笑える歌、かっこいい歌。凛はすべての楽曲を完璧に歌い上げた。耳に入ってくる気持ちのいい歌声とミリ単位まで動きの冴えたダンスで、渋谷凛というたったひとりの女の子がこの場を制していた。

 颯は凛の歌声とライブの雰囲気に飲みこまれ、熱狂に包まれつつステージをじっと見つめ続けた。構成要素のすべてにおいて、凛は颯にはできないことを軽々とこなしていく。

 ライブ終盤になっても凛は疲れた様子を一片も見せず、最後まで完成されたアイドルの仕事をやりきった。

「今日は楽しかったよ。みんなのおかげで、とてもいい気持ちになれた。また会おうね。ありがとうございました!」

 凛の締めの言葉に集まったファン全員から大ボリュームの歓声が上がった。凛とファンは最高の時間を共有し、ライブは幕を閉じる。余韻が残るその場の様子を眺めながら、颯とプロデューサーはそっと会場をあとにした。

「ねえPちゃん」颯は言った。

「なんだ」

「はーは、渋谷さんみたいになれるかな。このままじゃ、無理かなあ」

 渋谷凛はあまりに強く大きすぎる。アイドルとして、自分はあそこまでの力を発揮できるだろうかという疑いが颯の心に溜まっていた。凛のようになりたくても、なれない可能性のほうがとても大きいんじゃないか。

「努力すればいいさ」

 プロデューサーは颯の頭の上に手のひらを乗せて言った。颯は目を閉じて、プロデューサーの手の温度を感じる。

「その努力が、報われなかったらどうなるの? はーは、中堅アイドルで終わりかな」

 プロデューサーは颯の髪をわしゃわしゃさせながら言った。

「……いつの時代にも、努力しても結果を出せなかったやつはいる。その一方で、努力の果てに栄光をつかんだやつもいる。努力したやつが全員うまくいったわけではないけれど、うまくいったやつはやっぱり努力しているんだな。と、いうことは、努力は報われるものなのかどうか、未だ人類ははっきりとした答えを出せていないことになる」

 颯は無言でプロデューサーの言うことを聞いた。努力が実を結ぶかどうか確かなことは言えない。ならば努力という概念は特定の形をとらない。結局よくわからないものとして、そこに在る。


 凛のライブを観に行って一ヶ月半くらいたったころ、颯はプロデューサーに呼び出された。一枚の書類を手渡して、プロデューサーが言う。

「渋谷凛さんと共演するアイドルを募集するんだと。で、我々の事務所からは颯に白羽の矢が立った」

 颯は書類を読みながら、

「一夜に限り、渋谷さんと一緒に歌って踊れるっていう企画かあ。会社の枠を超えて共演アイドルを探していると。コラボっていうの、こういうやつ」

「まー、渋谷さんとタッグを組んでステージに立てれば会社としては商業的においしいと思う。颯にとっても、いい経験になるんでないかな。やってみるか?」

 颯は少し間を置いて答えた。

「やってみるよ」

「わかった。説明を続ける」

 プロデューサーによれば、募集にエントリーできたのは十五人。そこから審査員たちの前で歌とダンスを披露して、その出来栄えによって十五人がふるいにかけられ、一名のみ選考を突破する。そして凛と同じステージに立つ。

「課題曲と振り付けの動画はこのCDに入っている。持ってけ」とプロデューサーは颯にCDを手渡した。

 あとはもう、ひたすら練習するだけだった。

 選考会の当日、颯は会場として選ばれたスタジオの控え室で自分の出番が来るのを待った。あなたはエントリー番号十四番ですと言われていたので、颯が審査を受けるのは最後から二番目だった。

 颯は控え室にいる他のアイドルを眺めた。年齢層は様々だった。ここにいる人たちも努力してこの選考会に臨んだんだよな、と颯はふと思った。努力が不定型でよくわからないものならば、ここにはそれぞれ十五種類の努力が集まっていることになる。渋谷凛本人も努力しているだろうし、ここにはいないアイドルの子たちも努力している。

 人によって努力の形はさまざまで、ゆえに努力は自分にしか定義できないものなのだと颯は気づいた。まあまあ人気のある颯の努力と、最前線で戦う凛の努力は異なるものかもしれないが、どちらが優れているかは決められない。努力を形作るのは自分だけなのだ。続けるのもやめるのも自分で決めていいのだ。

 やがて、颯の番が来る。颯は審査員の前に出て一礼。

「十四番、久川颯です」

 いくつかのやりとりがあったあと、颯の歌とダンスが始まった。この日のためにひたすら聴いて歌った曲、身体が動く限りがんばったダンスだ。颯は熱い気分で舞った。


 それから二週間後、颯は再びプロデューサーに呼び出された。顔を合わせたプロデューサーは不機嫌そうだった。

「渋谷さんとの共演の企画だが、あれエントリーしたやつ全員落選だそうだ。お偉いさんがそう決めたんだと。よって企画もなかったことになった。向こうから募集をかけておいて、合格者は出ませんでしたっていうのは気に入らんよな」

 そう言われても颯は落ち着いていた。

「がんばってダメだったのは悔しいけど……オトナのジジョーなら仕方ないよ」

「颯の努力が偉い人の会議でぶち壊されたんだぞ」

「じゃあ、もっと努力すればいいと思います」

 プロデューサーは驚いた様子だった。

「颯は努力することが好きみたいだな」

「もうちょっと、努力を続けたはーがどうなるか、見てみたいんだ」

 颯は笑顔になって言った。窓の外は青い空だった。

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