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黒埼ちとせさんが見る未来

 ドラマ収録が終わった。プロデューサーとちとせはスタッフにお疲れさまでしたと頭を下げ、荷物を整え現場から撤収した。ちとせたちは並んで駅まで歩いていった。プロデューサーは機嫌が良さそうだった。
「ちとせさん、いい演技ができていましたよ。堂々たる役者の姿でした。感動しました。ちびりそうになりました。が、おむつを用意していたので大丈夫でした。いや、これは嘘です。でも全身に鳥肌が立ちました。これは本当です。すばらしかったです」
「そっか。お芝居ってよくわかんなかったけど、喜んでもらえるのはうれしいね」
 ちとせが出演したドラマは高校を舞台にした物語だった。ちとせは学校のトラブルを解決する生徒会長役を演じ、その演技の出来栄えは見事の一言だった。最近はちとせに回ってくる仕事が徐々に増えてきている。このドラマを見てちとせに興味を持つ人も増えるだろう。プロデューサーはそう思って喜んでいるようだった。
 一方のちとせは、仕事が楽しかったとはいえすっきりしないところがあった。
 ちとせは高校三年生だ。けれどもドラマの登場人物のような華やかな姿の高校三年生ではない。
 ちとせは休学したため留年して高校三年生をもう一度やることになった。周りはみんなちとせより一歳年下で、なんとなくちとせだけが少し浮いているような感じがする。ちとせに親しく接してくれる同級生は多いし、お姉様と呼ばせてくださいっ! と告白してくる女子もいたが、ちとせが持つなんともいえない違和感はそれほど解消されなかった。
 ちとせは上機嫌なプロデューサーに聞いてみた。
「ねえプロデューサー、あなたが一九歳だったころって、どんな十九歳だった?」
 それを聞いたプロデューサーは少し沈黙した。その様子は不機嫌さを示していた。ちとせにとって意外な反応だった。やがて古びた扉の鍵を開けるように、ゆっくりとプロデューサーは語りはじめた。
「僕は、十九歳のころ、浪人していました」
「大学受験に失敗したと?」
「はい。それで、ウチの一族……一族というのは大袈裟かな……まあ親戚一同、みんな同じ大学に入って、卒業していたんです。それが習慣になっていたんですが、僕は入試に落ちて、ストレートにその大学に進学できなかった」
 ならばプロデューサーはもっと勉強しろとかお前は努力が足りない人間だとか家族に責められたりしたのかな。そう思ってちとせは話を聞いた。
「おまけに高二のころから付き合っていた女の子にもフられました。で、予備校に通って一年間ひたすら勉強するというやりこみプレイを敢行しました。おかげで次の年には入試に受かったんですけどね」
 プロデューサーはそこで言葉を切った。灰色の十九歳をあまり思い出したくないようだった。話をさらに続けて大学に入ってからこれこれのことをやった、などとも言わなかった。
 十九歳の高校三年生であるちとせは言ってみた。
「私は、まっとうな十九歳になれればいいのにな、って最近よく思うの……昔はいまこの瞬間が楽しければそれでいいやって思ってた。でも未来のことも考えるようになってきたの。未来を充実させるにはこのままの私じゃなく、まっとうな生き方をする私のほうがうまくいきそうな気がする。きちんと、しっかり、まっとうに人生を過ごしていったほうがいいなって」
 そんなちとせにプロデューサーは下を向いて、小さな声で言った。
「ですがちとせさん、そんなまっとうな人間がどれほどいるんでしょうか。順調に日々を過ごし充実した時間を得る、というまっとうなモデルは理想的なもので、なかなか現実にはあらわれないのでは?」
 現実を見ろとプロデューサーは言っているのかもしれない。理想を求めすぎるな、と。まっとうな十九歳、それはリアルじゃない十九歳なのか。十九歳のプロデューサーはきつい状態だった。ちとせも完全にハッピーな十九歳ではない。でも、だからこそとても良い形の十九歳を夢見てしまう。
 そのあと十五分ほど歩くと駅に着いた。夕闇が街に降りてくる直前の美しくも奇妙な空模様の下、ちとせとプロデューサーは別れた。ちとせは家に帰る。プロデューサーは事務所に戻ってもう少し仕事をする。短く挨拶を交わし、ちとせは電車に乗った。
 車内はそこそこ混んでいた。ちとせは座りたかったが座席はすべて埋まっていたのでドアのそばに立った。窓から線路沿いの街の様子が見える。空は徐々に暗くなっていった。ちとせは腕時計を見る。家に着くまで二十分ほどかかるだろう。することがないのでちとせは窓の外の景色をぼーっと観察した。
 数分後にとある駅に着いた。ちとせが立っているのとは反対側のドアが開いて人が流れこんで来る。電車の中はさらに人でいっぱいになった。
 ドアが閉まり電車が発車すると、ちとせの近くで男女ふたりが話をし始めた。
「A先生の講義、おもしろいよね」
「うん、わかりやすくておもしろい。大学の授業ってもっと難しいんだと思ってたけど、頭にすんなり入ってくる。教え方うまい」
 ちとせがちらっとその男女を見てみると、男のほうは超イケメン、女のほうは天使のようにかわいらしかった。こいつらは充実した日々を過ごしているに違いない、とちとせが思っていると、男女ふたりはさらに会話を続けた。どうやらこのカップルは大学一年生らしい。
「B先生は神経質だけど、言ってることは興味深いんだよな」
「ちょっとでも授業中に私語が聞こえるとキレるんだよね、あの先生。いい感じの講義なんだから、みんな真面目に聞けばいいのに」
「αが学食の激辛ラーメンを三杯ノンストップで完食して伝説になったよ」
「αくんが? 大学っていろんなタイプの人がいるね」
「夏休み、どうする? 旅行にでも行く?」
「どっか遠いとこ行きたいね。バイトしてお金貯めて、外国に行っちゃうとか」
「イタリアとかどうかなあ。ジョジョ五部、好きだし」
 これはまあ、まっとうな大学生のカップルだなあとちとせは思った。講義を聞いて友達と遊んでやりたいことを思うままにやる。こういうタイプなら人生うまくいきそうだ。このカップルの振る舞いをコピーしてちとせに貼り付ければそれでハッピーなのだが、このイケメンアンド美少女のカップルとちとせはコンピュータのデータではないからそれはできないことだった。
 次に止まった駅でカップルは電車を降りていった。ちとせはその背中を見送ったあと、再び空を見た。月が遠慮がちに輝いていた。

 数日後にちとせは真昼のショッピングモールの中にいた。特に買いたい物はなく、少し身体を動かそうとぶらぶら店内を歩いた。モールの中にはたくさんの人が詰まっている。
 走り回る子供、猫背の大人、様々な年齢の女と男。背の高い人と低い人。おしゃれな格好をした人。シンプルな服装だが靴だけは派手なものを履いている人。女児向けグッズショップに並ぶ男子たち。書店で『スマホの使い方はこうなのです!』と表紙に書かれた雑誌を手にとるお婆さん。だいたいみんな楽しそうだった。
 みんなそれぞれやりたいことをやっているんだな。私はなにがしたいんだろう。ちとせはそう思って中身を見尽くしたショッピングモールから出た。
 外は太陽が燦々と輝き、強い日光が降っている。外は外で人がいっぱいだ。おしゃべりしたり犬を連れながら歩道を行く人だけではなく、いろいろなデザインの車やバイクが道路を突っ走っている。世界と時間は動き続けていた。これぞ日常、という感じ。この風景がどこまでも続くんだろう。
 ちとせはメインストリートから外れた道を歩き出した。巨大なショッピングモールがある通りを外れると、小さなパン屋や喫茶店、惣菜屋が並んでいるのが目に入る。そこを歩きながら、ちとせは空腹感を覚えた。腕時計を見ると時刻は十二時半だった。なにか食べたいなと思って辺りを見る。
 すると「ラーメン・ゼンディカー」という赤い文字で書かれた看板を掲げている小さな店を見つけた。ラーメン屋さんだ、とちとせはその店に近づいた。ここで昼ごはんを食べようか、と思ったが、ひとりでラーメン屋に入るなんて初めてではなかろうか、とちょっと不安な気持ちもした。
 でもお腹も空いたし、行ってみようとちとせは店に入っていった。入り口のすぐ近くに食券を買う機械が置いてあったのでちとせは財布を取り出して、食べたいラーメンを選んだ。なんとなく塩ラーメンに決めた。お金を投入して販売機のボタンを押す。出てきた食券を若い女性の店員に渡し、ちとせはカウンター席について塩ラーメンがやって来るのを待った。
 数分後に「塩ラーメンです。ごゆっくりどうぞ」という声とともに店員がラーメンをちとせの目の前に置いた。傍らにある箱に入った箸を手にとると、ちとせは塩ラーメンを食べ始めた。
 想像していたよりずっとおいしいラーメンだったが、ちょっと塩味が濃すぎる感じもした。これで血圧が上がって体調が崩れると嫌だな、でもおいしいな、とちとせは麺をすすり、咀嚼し、スープを飲む。
 いきなり声をかけられた。
「あなた、黒埼ちとせちゃんよね」
「え……」
 話しかけてきたのは隣の席に座っていた女性だった。その顔には見覚えがある。実物を見たのは初めてだけれども。
「川島瑞樹さん?」
「あら、私のこと知ってるの?」
「活躍しているアイドルだし、大人っぽくて憧れてて……川島さんのことは注目してる」
「そうなの? 私もあなたに興味があるわ。綺麗な眼をしているのがキュートよね」
 私の眼、綺麗なんだ……そう思ってちとせは相手を見る。川島瑞樹、別のプロダクションに所属する人気アイドル。二十八歳。大人っぽいルックスで素敵。歌唱力も一流。多くのファンに支えられている。その瑞樹が言った。
「ちとせちゃん、最近がんばってるわよね、テレビ番組にもよく出るようになってきたし、いい歌をいっぱい歌ってる。ちとせちゃんのリリースしたCDは全部持ってるけど、落ち込んでいるときにあなたの歌を聴くと元気が出てくるわ」
「それは、ありがとう……けど、私はまだがんばりが足りないし、未熟だと思う。川島さんのほうが私より優れてるよ。私はまっとうな人間でありたいけど、なれなくて」
 そんなことを気にしてどうするのかという口調で瑞樹は返答した。
「ちとせちゃん、まだ十九歳でしょ。未熟でも努力が足りなくても、これから伸ばしていけばいい」
 ちとせは俯いて、瑞樹から視線を外した。瑞樹はまっとうだとちとせは思う。
「まっとうな十九歳じゃない私は、ちゃんとまっとうに伸びていくのかな。まず、まっとうな十九歳に近づきたいんだけど」
 瑞樹の言葉はシンプルなものだった。
「うーん、ちとせちゃん、来年は二十歳でしょう。そうなると来年はまっとうな二十歳を目指してがんばって、再来年はまっとうな二十一歳を求めてがんばることになるわ。年齢でラインを引くのはあまりおもしろいことではないと思うけど」
「……それも、そうか」
 自分の前にある数字だけを見て考える必要はないのだと瑞樹は言っていた。数字に縛られず、数字から連想せず、数字を恐れず、ただ落ち着いて数字と付き合って、その先へ、その奥へ進めば未知の風景が少しだけ覗ける。
 瑞樹はさらに聞いてきた。
「もっと曖昧でいいから、なんとなく未来はこんな感じがいいっていう望みはないの?」
「具体的なことは、わからない。はっきり『これがいい』っていうのは想像できない。でも……」
 ちとせは目の前の塩ラーメンを見た。おいしくて、しょっぱい食べ物。今日一日の中で見たいろいろな景色。ちょっと前にドラマで演じた生徒会長役としての振る舞い。充実した日々を送る他人たち。きつい思い出を抱えたプロデューサー。ちとせの興味は世界のいろんなところに向いていた。いろんなものと自分を比較していた。
「私はいろんなものを見て、いろんなことを考えたいんだと思う。その考えが集まって、私だけの血肉になればベストだと思う。だから、目を開いて、嫌なものも好きなものも見ていたい」
「なーんだ、なんの問題もないじゃないの!」
 瑞樹はいきなり破顔して叫んだ。ちとせはびっくりしたが、やがて自分も微笑みを浮かべることができた。瑞樹はニコニコして言った。
「ちとせちゃん、このあとちょっと時間ある? ラーメン食べ終わったら、ふたりでどっか行かない?」
「うん、いいよ」
 今日は楽しいことができそう、と思ってちとせはラーメンを食べるのを再開した。

 プロデューサーが持ってきた企画書の表紙には「激突! 二十代アイドルVS十代アイドル! 〜熱き魂の戦い〜」と書かれていた。プロデューサーは企画書をちとせと一緒に見ながら説明した。
「二十歳以上のアイドルと十九歳以下のアイドルが五人ずつのチームを組んで、それぞれのチームが課題に挑戦していくという内容のテレビ番組です。ちとせさんにこの番組に出てはどうか、という声がかかりました」
 ちとせは企画書を見て言う。
「鏡に囲まれてダンスを踊ったり、即興で歌詞を組んで歌ったりする課題に挑戦するのね。課題の結果ごとに点数をつけて、最後に点数が大きかったチームが勝ち、と」
「そうです。二十歳以上チームのメンツはすでに決まっています。次のページを見てみましょう」
 企画書をめくると、有名アイドルの名前が並んでいた。ちとせはそれを読み上げる。
「高垣楓さん、佐藤心さん、三船美優さん、鷹富士茄子さん、大和亜季さん……夢の布陣だね」
「思わずちびりそうになるビッグネームが並んでいますね。対して、いまのところ出演が決まっている十九歳以下チームのメンバーはこんな感じです」
 プロデューサーが書類を指でなぞる。ちとせは言った。
「格下を呼んでフルボッコにするイベントかな? 有名な子が集まってるけど、二十歳以上チームに勝てるかなあ」
「参加しない方向でいきますか?」
「ううん、やってみるよ。視野が広がるかもしれないし」
「了解です」
 そして企画は動き出した。その最中でちとせはこの番組で二十歳以上チームに勝つのは不可能だと思った。打ち合わせや課題の練習を通して、二十歳以上チームの面々が披露する実力は相当にレベルが高いものだった。でも、それはあまり嫌なことではなかった。

 「激突! 二十代アイドルVS十代アイドル! 〜熱き魂の戦い〜」の収録本番の日を迎えたちとせは、控え室で待機していた。本番まであと十分ほど。部屋の中には十代のアイドルがちとせを含めて五人いる。緊迫した空気が漂っていた。
「アンタ、今回の戦い、勝てると思う?」
 ちとせのそばにいた少女が話しかけてきた。ここまでの打ち合わせで顔馴染みになっている女の子だった。
「私は負ける可能性がとっても大きいって思うけど。梨沙ちゃんはどう」
「アタシも勝つのは難しいと思う。でも、負けたくない」
「そう」
 いつの間にか室内にいる十代アイドルチームのメンバー全員がちとせに目を向けていた。ここではちとせが最年長だ。ちとせは話し始めた。
「死ぬ気で踏ん張れば勝てる、という相手でもないでしょう。それくらい相手は強力な人たち。なら勝つことが第一の目標ではなく、自由に遊んで、私たちの力を見てもらいましょう。相手と自分たちの差なんて関係なく、あるがままの力を出して、それで終わりでいいんじゃない?」
「それで終わりって……ちとせ、そんなんで――」
 梨沙がそう言ったとき、控室のドアがノックされた。スタッフが入ってきて言った。
「十代チームのみなさん、本番です。来てください」
 そう言われた十代アイドルたちは控え室からぞろぞろと出て行った。
 さて自分はどうしよう、とちとせは歩きながら思う。難しく考えず、黒埼ちとせ十九歳右利き血液型O型蠍座をぶちかませばOKだろう。自分の目でいろんなものを見ていけばいいのだ。目を開くことが未来を開くことなのだ。
 梨沙が言った。
「勝負に負けそうでも、この番組をテレビで見てる人たちは、アタシたちを応援してくれるかもしれないわね」
「そういう視点もあるね、うん」
 ちとせはそう言って先へ進んでいく。

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