朝早起きして弁当を作るようになった

 おかかのおにぎりが美味しい。

 先月から突然、次々と色々なことができるようになり、さらに今日まで継続することもできていて非常に偉い。そのうちのひとつが「お昼ごはんを家で用意していく」だ。
 おにぎりは必ず具を入れて握る。そこにおかずと汁物を詰めた弁当箱を携える時もあればそうでない時もある。とにかくおにぎり1個は持っていっている。

 5月の半ばまでは、昼休みになると会社の階下のコンビニへ赴き、食べ物を調達していた。「できれば500円以下」みたいな緩い意識こそ持っていたけど、割と好き放題に気になったお弁当やパンを選んでいたから、全然守れていなかった。働いて帰って寝るだけ、何も楽しいことをしていないのに、毎日700〜1,000円飛んでいく。それが20日前後繰り返される。嫌で嫌で仕方なかったのに、やめられなかった。
 多分、会社という場所が嫌いすぎて、新しいお弁当を試す悦びに逃避することで、必死に己を鼓舞していたんだと思う。オフィスに入ってから出るまでの8.5時間は深海に沈められたように息苦しくてたまらなくて、でも、新発売のお弁当を買ってきて味わう昼休みの1時間だけは、水面から顔を出せたような、心地いい呼吸ができていた気がした。

 いまはもう、コンビニにお弁当を探しに行かなくても、苦しくない。
 

 「私の作ったお弁当があるから!」というのは少し違う。
 自分で用意するおかずは全然大したことないものばかりだ。食えなくはないものの、不恰好だったり、自分の好きな味に作れなかったりして、納得いかないまま弁当箱に詰めている時の方が多い。おにぎりは徐々に握り慣れてきたけれど、しょっちゅう具がはみ出す。あと握りすぎて固い。単純に味の美味しさで比較したら、コンビニの食べ物の方が勝ってる。


 おそらく私は、お弁当を生み出す時間の流れそのもの、その過ごし方を愛しているのだと思う。


 終業後、帰りの電車に揺られながら、家の冷蔵庫にある食材や、自分が食べたいものを思い浮かべて、ぼんやりと構想を練る。スーパーに立ち寄って材料を揃え、家に帰ったら早速、明日のお弁当のための下準備をする。早起きして仕上げなければならないから、できるだけ早く寝る。
 翌朝、目覚めたらすぐにベッドを離れて、台所へ立つ。弁当箱に昨日作ったおかずを詰めて、おにぎりをアルミホイルで包んで、まとめて弁当袋に入れたら、忘れないよう玄関に置いておく。残ったおかずとごはんをテーブルに運んで、テレビをつけ、朝ごはんを食べる……
 実に美しい。実に健康的で規則正しい、理想的な朝の過ごし方じゃないか。

 そんな風に言える、胸を張れる過ごし方を、三日坊主に負けず継続している自分がいる。
 それを誇らしく、愛しく思えているから、もう苦しくないのだ。

 あしたもおにぎりを握るつもりだ。最近はおにぎり1個で夕方まで保つことが多いので楽である。自家製のじゃこおかか(おいしい)がまだ残っているが、1日前に買ってきた焼きたらこにもそろそろ手をつけなければいけない気がする。ふたつ握ろうか。


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