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夏と田舎と伯父さん

 高校生になってからは一度も行っていないので、かれこれ三十年は経ってしまったでしょうか。それまでは私にも「田舎」と呼ぶべき場所がありましたが、今はもうなくなってしまいました。
「田舎」というのは両親の故郷にあたる東北の某県で、幼い頃は毎年お盆の時期になると父親の運転で都内から帰省の旅に出たものでした。まず父親の実家に泊まって墓参し、次に母親の親戚の家にお世話になるというのが大体決まったスケジュールでした。

 何故か父親の実家が苦手でした。だから実を言うと毎年の夏休みの帰省はとても嫌でした。ただ、東京にいても友達もいないし家に一人で置いて行かれるのも嫌だったのでついて行ったのでした。
 父親の実家は牛がいる農家で、広い平家でした。天井からハエトリ紙がぶら下がり、トイレは(家の中にありましたが)ぼっとん便所でした。そう言う非衛生的な面も苦手でしたが、なんと言ってもそこへ行くと母親がせわしなく働かなければならないのでその姿を見るのが辛かったのを覚えています。
 小学校高学年から中学生になった頃にはその家から一人で外へ出て田舎道を歩いて雑貨屋さんへ買い物へ行ったり、大きなオニヤンマを捕まえたりしていました。それだけは井上陽水の「少年時代」をBGMにして保存した動画のような思い出として残っています。


 中学3年の夏だったと思います。その時期は父親の体調も優れず、仕事も上手くいかず、経済的にも家族で帰省をする余裕がありませんでした。ただ、私一人の新幹線代くらいは大丈夫だと言うので、私一人が「田舎」に行く事になりました。その時は本当に億劫でした。母親が上野駅まで一緒に来てくれて駅近くの洋食屋でハンバーグ定食を食べました。それから東北新幹線に乗って三時間くらいだったでしょうか。父親の実家からの最寄り駅に到着しました。


 その駅を出ると少し侘しいロータリーになっていてそこにポツンと一台の軽トラックが止まっていました。私はその車に見覚えがありました。それはいつもあの家の牛小屋の前に止まっていた軽トラックでした。その車に近づいて行くと口数の少ない伯父さんが運転席から顔を覗かせました。父親の兄です。顔は似ているけれど、父親より落ち着いていて柔らかい雰囲気の人でした。その車に乗り込むとほのかに牛小屋の匂いがしました。正直言うとその匂いも苦手でした。
 駅のロータリーからあの家に向かって何日か過ごして母親の親戚の家に行ったはずですが、なぜか、いや三十年も経ったせいでしょうか、そのロータリーから先の記憶が全くないのです。その伯父さんはだいぶ以前に亡くなってしまいました。お線香をあげに行くこともお墓参りにもまだ行っていません。
 今ではあの家は他の人の持ち物になったそうです。もしかしたら建て替えられ、牛小屋もなくなっているかもしれません。一人で歩いた田舎道も舗装され、あの頃の景色はなく、ガラッと変わっているかもしれません。あの駅もロータリーも当時とは違っているでしょう。それが時の流れだと思います。
 
 やさしさについて考えるとき私は、ロータリーに止まっている牛小屋の匂いがする軽トラックと無口な伯父さんの姿を思い出すのです。



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今日は少し時間があって、皆さんのように何かの企画に参加してみたくなりました。普段の記事と差別化するために一人称を変えました。



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