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我が国の悪弊と国会の可能性 〜記録と検証〜

1. 危機の記録

危機管理において、記録することは重要だ。

危機が発生すると、事態対処行動が始まる。その初動の立ち上げから、「◯月○日×時×分 ●●会議」、「◯月○日×時×分 ●●発布」など、生じた事項を逐一記録していく。

この記録を「クロノロジー」という。

危機が去り、事態対処行動が終了した後は、この「クロノロジー」を基に、その危機管理活動の全体に関する記述が行われる。そして、その危機管理活動の検証が行われる。

2. 当事者の視点と傍観者の客観性

小説『日本沈没 第二部』で、中田総理大臣の私設秘書である渡桜は、日本初め、世界に降りかかる災厄への対処に関して記録し、記述をまとめる役回りに任じられる。

その任にあたり、ある人物から以下の言葉を投げかけられる。

当事者だからといって、正確な記録を残せるとはかぎらないわ。そのような観点も必要だけれど、もっと大事なのは対象を客観的にみる冷静さじゃないかしら。当事者の視点と傍観者の客観性を、あわせ持つ人物でなければ公正な記録者にはなれないと思うのよ。

小説『日本沈没 第二部』(上)(下)(2008年)

「当事者の視点」「傍観者の客観性」。重要な指摘である。

事態対処は、情報が不完全な中で行われる意思決定の連続だ。事態対処の全ての結果を知っている状態で、後知恵で意思決定の正不正を論じることはフェアではないし、建設的でもない。したがって、その時点において当事者が知り得た情報の範囲で行われた意思決定を尊重することが求められる。即ち、「当事者の視点」だ。

では、「傍観者の客観性」とは何か。それは、事態対処行動を行った当事者に対して無用な肩入れをせず、また、無用な批判もせず、主観性を排除して事実に基づいてのみ記述を行い、検証することである。

「当事者の視点」と「傍観者の客観性」ーー この2つが相まって、初めて危機管理に関するきちんとした記述になるのだろう。

しかし、そもそも記録を取る目的は何であったか。それは、「検証」のためである。

次なる危機が我が国に到来したとき、「当事者の視点」と「傍観者の客観性」を持った記録がなされ、それを元に精緻な検証がなされ、次なる危機に備えて能力を強化せねばならない。

全ては、国民の生命と財産を守るためである。

3. 我が国の悪弊

検証:大東亜戦争(戦争調査会)

我が国では、大東亜戦争の検証が公的になされていない。

大東亜戦争の検証のために、「戦争調査会」というものが設置された経緯はある。大東亜戦争敗戦直後の1945年10月、幣原喜重郎内閣は『敗戦の原因及実相調査の件』を閣議決定。

大東亜戦争敗戦ノ原因及実相ヲ明カニスルコトハ之ニ関シ犯シタル大ナル過誤ヲ将来ニ於テ繰リ返ササラシムルカ為ニ必要ナリト考ヘラルルカ故ニ内閣ニ右戦争ノ原因及実相調査ニ従事スヘキ部局ヲ設置シ政治、軍事、経済、思想、文化等凡ユル部門ニ亘リ徹底的調査ニ着手セムトス

昭和20年10月30日 閣議決定『敗戦ノ原因及実相調査ノ件』

同内閣は、本閣議決定に基づき、再び戦争の過ちを犯さないよう、政治・外交・軍事・経済・思想・文化などの複数の側面から、戦争を検証するプロジェクトを発足させた。具体的には、幣原内閣は翌11月に『大東亜戦争調査会官制』を閣議決定し、敗戦の原因と実相を調査に専従する政府部局を設置した。

幣原は、以下の強い信念を持って戦争調査会を進めたとされている。

我敗戦の原因何処に在るかは今後新日本の建設に欠くべからざる資料を供するものなり。

『戦争調査会 幻の政府文書を読み解く』(井上寿一著、講談社現代新書)

しかし、ソ連やイギリスが、戦争調査会の委員に旧軍人が入っているという点を問題視。最終的には、GHQのマッカーサー元帥の意向により、戦争調査会は廃止となった。

幣原は「戦争のことを調査するのに軍人を皆抜いてしまってやれば、どんな調査や結果ができるかね」と憤慨したという(当事者の視点)

事態対処に従事した当事者、即ち検証を受ける側の対象者であっても、当時の立場と状況を知り、検証のために必要な専門的知見を持つ者には、積極的に調査に協力してもらう必要があるのだ。

GHQ占領時期に検証が出来なかったことは致し方ない。しかし、昭和27年(1952)4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効し、我が国が独立を回復した後であっても、我が国国民自らの手で検証を行ってこなかったのは、自らの責任と言えるのではないだろうか。

結果的として、日本政府と日本国民は、自らの手で主体的に戦争を総括し、そこに至った原因を公式に追究する機会を失い、戦争原因や戦時中のさまざまな対応について、多くの異なる見解が並立する事態になっている。

この戦争調査会の経緯について詳細を記した『戦争調査会 幻の政府文書を読み解く』(講談社現代新書)の著者である政治学者の井上寿一氏は、戦争責任の問題について、以下のように述べている。

近隣諸国が問題を出す。日本が反応する。今度は近隣諸国が別の問題を出す。日本が反応する。このような外交の往復運動は永久につづく。

『戦争調査会 幻の政府文書を読み解く』(井上寿一著、講談社現代新書)

何が良くて何が悪かったのかについて、公式見解が判然としないがために情緒的な議論が繰り返される。このような事態を避け、未来に向けた建設的な議論を行うためには、主体的な危機対応の総括が必要なのではないだろうか。

検証:COVID-19パンデミック

世界的に「戦争」と評されたCOVID-19パンデミックの検証も、我が国では、「新型コロナウイルス感染症対応に関する有識者会議」という名の会議が1ヶ月という短期間に計5回開催されただけで終了し、意思決定を行なった政治家や官僚の証言(当事者の視点)が盛り込まれることもなかった。

2023年5月9日時点で、COVID-19パンデミックによる我が国の累計死亡者数は74,694人に及び、長崎原爆の死者数に匹敵する。次なる危機が発生した際には死者を減らせるように、政府や自治体の危機対応を精緻に検証し、能力のアップデートに繋げることは必要だろう。

大東亜戦争やCOVID-19パンデミックが示すように、危機から学ぶ姿勢に乏しいのは、我が国の悪弊であると言えるのではないだろうか。

検証:福島原発事故(国会事故調)

一方、福島原発事故という国家的危機に際し、国会に「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」(通称:国会事故調)が設置されたことは画期的であった。

同委員会は、「国会法」と「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会法」の組み合わせで成立している。後者の法案成立にあたっては、衆参両院で全会一致で可決された。

政治家が危機への「認識」を共有し、未来の国家国民のことを思えば、国会でこのような取り組みが出来るのである。

国会議事堂

4. 国会の役割と可能性

我が国が災害列島である事実は、未来永劫変わらない。極東地域の国際情勢は、戦後最も複雑かつ不安定な状態にある。このように、我が国が様々な危機に晒されていることを踏まえれば、国家的危機の際の記録について法的に政府に課し、検証について法的に国会に課すことも一案ではないだろうか。

以上

小説『日本沈没』・ドラマ『日本沈没』に着想を得た論考は、以下もご覧ください。


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