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いい俳句とは ver2.0 & 自選十句

俳句3年目に突入しようとしている。俳句を始めた頃に「いい俳句とは ver 1.0」というnoteを書いた。その後「いい俳句とは?」の定義が僕の中で更新されたので、このタイミングでまとめておきたい。

  • 2022年5月の自分:いい俳句 = 情景が大きく立ち上がる句

  • 2023年12月の自分:いい俳句 = 感性をリフレッシュする句

である。例によって、僕の考えをまとめるためのメモですので、未熟の極みですが、何かの参考になれば幸いです。

感性をリフレッシュするとは

いい俳句に出会うと、世界の見方や感じ方がちょっとだけ変わる。それは五感のような身体感覚に基づくものもあれば、考え方や価値観といった世界の認識の仕方もある。

例えば今日は12月29日だが、

去年今年貫く棒の如きもの  高浜虚子

を知っていると、年の変わり目への姿勢がちょっぴり改まる。そうした違いを生み出すものが、いい俳句だと思う。

では、どういう場合にそんな、いい俳句が成立するのだろう?

感性をリフレッシュする俳句とは

これは、大きく2つのフェーズがあると思っている。図にすると、

である。

まずは「1. 多くの人の、個人的な体験や想像の受け皿になれる」必要がある。ここでのポイントは「多くの人」「個人的な」である。

多くの人が体験や想像を託すためには、共通認識を生みやすい語が必要だ。そのための最もポピュラーな手段が季語だろう。

そして、個人的な体験や想像を託すためには、説明や類想を避けた句でなければならない。マニアックな趣味ほど共通したら盛り上がるのと同じように、「ああ、そういえば自分もこういうことがあったなあ!」という気持ちは、独特な句であるほどに引き起こされる。


次に「2. 句を読むと、個人的な体験や想像⁨⁩がリフレッシュされる」について。

普通に考えると、たった十七音で「リフレッシュ」を生むのは難しい。小説でよく「伝えたい一行のために、それまでの何十、何百ページがある」という言い方がされるように、人を感動させたり啓蒙するためには、言葉を尽くす必要がある。

だから俳句は、読者の想像力に頼るしかない。

その想像の余白を生むために、例えば「切れ」がある。句中かもしれないし、句の前後かもしれないが、「切れ」があることで、読者が個人的な経験や想像を膨らまして、深く味わうための場所が生まれる。

つまり、いい俳句は、読者の想像力を飛翔させる発射台になる

その発射台をつくるために、様々な技術が編み出され、過去たくさんの人が創造力を発揮してきたのだと思う。

それから、鑑賞という行為は発射台への乗り方をガイドする。上手な鑑賞というのは、1人で俳句を読んでも想像力を飛ばせなかった人々を発射させたり、かつてよりも高く飛べる人を増やしたりする。

どうすれば、感性をリフレッシュする俳句をつくれるのか?

なんてことを書いてきたが、感性がリフレッシュする / しないというのは完全に主観の世界の話だ。

だから、そういう俳句を作ろうと思っても、王道があるわけではないし、その人の個性によって向いてる道も変わってくるだろう。

ただ、自分がどういう句を読んだ時に、感性がリフレッシュしたのかについては意識的になることができるし、そうした句を集めていけば、目指すべき方向も少しずつわかってくる気がしている。

あとは自句の第一読者として「己がその句を読んだ時に、感性がリフレッシュするか?」を問うていけば、少しずつ句境を深められるかもしれない。

読んだとき悦に入るのではなく、自分がちょっぴりリフレッシュできるような、そんな句を詠んでいけたらいいなと思う。

(※なお、今回記事を書くときに最初リフレッシュではなくアップデートという言葉を使っていた。でも、いい句を読んで気持ちが改まっても、感性は鈍りやすいのでリフレッシュに変えた。アップデートはもう少し固定される意味合いが強いと思う)

自選十句

そういう意味で選んだ現状の自選十句が以下である(◯印は今年発表の句)

来年、自分がリフレッシュできる句を詠んで、1句でも多く、この10句を入れ替えていけたらいいなと思います。

皆さま、本年も誠にお世話になりました。来年もよろしくお願いします!
良いお年をお迎えください。

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