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屋久島の集落は「何もないところ」ではない

「何もない所なのに、なんで来たの?」

集落に住んでいる方に何度か言われた言葉だ。でも東京にないものが、ここにあると思っている。屋久島に来られて良い体験ができたし、本当に素晴らしい1年だった。

東京と比べれば、屋久島に無いものは多い。日々の買い出しのスーパーに行くには車で15分。ドラッグストアには車で25分。車がなければ、日常の買い出しにも支障がでる。ご想像の通り、マックやスタバはない。(車で40分行くと、実はモスバーガーがある。)

多くの人はこういった環境を「不便」と呼ぶ。正直私もそう思っていた口だが、その環境で生活して慣れてしまうと不便と感じなくなることに気づく。実際、買い物をする場所が少し遠くても生活にはあまり影響がないのだ。

ご想像の通り、屋久島には自然があって綺麗な風景がある。それはわかりやすくそこにあるし(見えるし)、そんな日常が当たり前になってしまった。自然が近い所にある方が快適な感覚に無事に生まれ変わったのだ。

そして屋久島の集落にあるけど、見えないものは「濃いコミュニティ」だ。近所の人たちに気軽に挨拶をしたり雑談をする習慣がある。ちょっとしたおすそ分けが日々繰り返されていたりもする。このコミュニティの濃さに心地よさを覚えるのは、東京のコミュニティの薄い部分を知っているからなのかもしれない。ずっとここに住んでいる方達にとっては集落の当たり前なのだろう。1年だけ家族でパッと移り住んで、タダ乗り同然でこのコミュニティを体感させてもらったのは本当に感謝しかない。

私が東京に住んでいる時、近所に住む人には軽い挨拶をする程度。良いか悪いかはさておき、そんな距離感の関係性でこれまでやってきた。屋久島での生活を経て、この先、その関係性に少し物足りなさを感じてしまうかもしれない。

屋久島の集落には「何もない」わけではない。東京にないコミュニティの濃さが感じられる。そして、それを感じるのが本当に楽しかった1年だった。そろそろこの1年が終わってしまうのが名残惜しい。

ありがとう、屋久島町一湊!



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