開成ペンケン

今も活きている開成で学んだこと

小学校は公立で6年、中高が開成で6年、大学/院が慶應で6年と学生時代を過ごしましたが、中高の開成での経験は貴重なもので、今も活きているので言語化してみようと思います!^^

*あくまでも僕の考え、経験であり(しかも10年以上前の)、他の開成生はもちろんまた違う経験をしていますし、僕の記憶違いもあるかもしれません。
カジュアルにお読みくださいm_ _m*


①できる奴は自分への合格基準が高い


中学入学組は小学校時代に「自分は神童」だと自覚/勘違いし(僕は完全に後者)、入学してくるちょっとイタイ連中の集まりである。入学後早々に、誰もが少なからず鼻をへし折られる経験をする。僕の負けず嫌いはこれによって加速した。

【エピソード】

高2の時、数学の成績が悪かったので、学年で一番数学ができるK君に「数学ってどうやって勉強してるの?」と聞いたら、「数学の基本的な解法パターン100個、覚えてない?スタートラインに立ってないよ」と言われた。

【教訓】

当時、僕は彼の意図を理解しきれなかったが振り返るとこういうこと↓
・まず1冊基本レベルの参考書買って、量やれ。問題見ただけで解法パターンが浮かぶようにしろ。ただこの目的はもちろん量をやることではなく、基本のパターンを身に着けることにある。受験の数学なんて所詮正解があるし、たとえ難問だとしても基本解法パターンが組み合って出来ているにすぎない。だからまずパターンを理解しろ
・その後、応用問題を解いていく中でそのパターンの組み合わせを自分のストックから引き出せるような訓練をしていけ

というような思考プロセスだったのだろう、彼は。

前者はまさしく守破離の”守”であり、後者は守破離の”破”である。

「目標に対して最短距離で向かうための戦略を立て、見通しがついたら量をやって型をつけ、応用させていく。これが正しい頑張り方である。」

この”頑張りの基本原理”をK君から学んだ。


②頑張っていることがカッコいいではなく、成果が出ていることがカッコいい

【エピソード】

僕は中2の時に今でも忘れられない悔しい強烈な原体験をしている。それは同級生に「お前ってコツコツやっている割にはできないよな」と言われたことだ。
(余談だが、こんなことを言われても当時の開成では「(辛辣だなー、でもまあね)」みたいな風潮だったが、大学時代はこんなこと言おうものなら周囲は「そんなこと言ったらかわいそうだよ~~~」という擁護の風潮でカルチャーショックだった。)

【教訓】

「自分なりに頑張っている」は意味がないのだ。そもそも頑張ることは目標達成のための手段であって目的ではない。

できない人は正しく頑張っていないか、そもそも頑張る量が足りていないかのどちらかである、いずれにせよ本人の頑張りの問題だ、というマインドをこの経験を通じて植え付けられた。

*所属しているLITALICOという会社とはある種真逆の考え方ですが、「正しい頑張り」を引き出すために環境を整えるor障害となっているものを除き、整えてあげるのは社会として必要なことだとに思ってます


【派生した教訓】

この経験によって「自分がシンプルに頭脳だけで戦ってもこいつらには勝てない」と思わざるをえず、自分がトップになるための差別化戦略を自然と考えるようになった

結論から言うと僕は「属人的なものを抽象化し、型に落として、お節介にも人に教えることが得意なのでは?」と仮説を立てられた。僕は不器用で成長に時間がかかるため、コツコツとやっていくタイプである。そのため狙っていないが、自分の歩みの中の段階段階で感じたこと、つまづいたこと、それをどうやって乗り越えたのかを全て言語化・視覚化することができていた
これはこれから類似の道を通る後輩やスランプに陥って自分を見失っている同期にアドバイスする際に非常に活きた。
さらに言うと、他者に伝えるにはある程度の汎用性が必要となるため、それに伴い型化・抽象化が得意になり、オペレーション構築はじめ、仕組み作り、ルール作りが得意になっていったし、アナロジーの構造を見出すのも得意になった。

これは現在新規事業で整っていない中でルールを決める、オペレーションを設計する、マニュアルを作る、育成メニューを作る、他社や本で得たビジネスナレッジを自分のアウトプットに活かす際にも活きている。


③人ではなくコトに向かう

これは具体的なエピソードというか、日常である。

強いリーダーシップを持つ人が多く、意見をしっかり持っている。賢いし、負けず嫌いで議論にもなる。しかし【誰が言ったかではなく、何を言ったか】で集団の意思決定は進んでいくことが大半だった。運動会も文化祭も部活も。
チームで1つのことに向かっている時には、仲の良し悪しが個人の意見に影響を与えていなかった。

【教訓】

人ではなく、コトに向かえ

④本当にすごい奴は努力の天才である

【エピソード】

中1で同じクラスだったT君は成績がビリから数番目だった。

しかし高校卒業時は400人中1位だった。

中学入学組は途中でだらけることも多いが、彼は真面目にいつも前の方の席で授業を受けていた。

【教訓】

本当にできるやつはやるべきことをどんな時でも淡々とやっている

番外編

⑤ユークリッド幾何学
当時の開成中学には数学の授業として代数と幾何があり、幾何の授業ではひたすらユークリッド幾何学をやっていた。
中1(?)の最初の授業で扱った公理1で【任意の点から任意の点に直線を引くことができる】と先生が板書し、「・・・は?当たり前じゃん」と思った記憶が鮮明に残っている(定理100が中点連結定理だった気がする)。

中学時代は正直「2,3年もかけてるけど何に使うんだよ、、」と思っていたが、これが大学時代に少しかじったプログラミングに少し役立った。

【先に定義しておかないと後でその前提は使えない】という点で共通だった。ほんの少しの”重なり”に思えるかもしれないが、初学者にとってだいぶ最初の学習の足場となってくれた


【教訓】

「どこで使えんだよ」とか思うかもしれないが、学校の教科はあくまでも「お題」学ぶための素材であって、色々なものの考え方を教え、そして知識を覚えて、必要な形で必要な時に引き出して組み合わせて使う反復練習をしているにすぎない
戦うにしても、剣だけでなく、ピストルも武術も、使えた方が幅が広がるし、そもそもどれが向いているかやってみないとわからない。

⑥B先生の教え
B先生は大好きな中学時代の恩師であり、現代文の先生だった。

「本には身銭をきれ、辞書を繰れ、線を引いて読書しろ」と教わった。
・ライザップ形式で痛みを伴わないと本気で学ぼうと思わない
・読みながら印象的なところに線を引きつつ、その時思ったことを本にメモしていくことで、受け身の情報取得ではなく、本と対話し、自身の考えを乗せることができ、それが重要
・その本を時間をおいて再度読んだ時に、自分のメモによって本との対話だけでなく、過去の自分との対話にもなる

ざっとこのような教えだと僕は受け取った。
先生、今も続けています。あれだけ中高時代は本を読まなかったのに今は年間100冊近く読むようになりました。
先生は亡くなってしまったが、先生の教えは僕の中で生き続けています。僕も教育の仕組み、学びのモデルやメソッドを作って多くの人に影響を与えられるようになりたい。

【B先生に読め!と言われて今も価値観を形成している本】
・私の個人主義(夏目漱石)
個人主義とは利己主義ではない。自分のエゴを通すために他者のエゴを尊重しろ。このスタイルが個人主義である。「他者に思いやりを持って自我を突き通せ」、というメッセージが僕に血肉化している
・君たちはどう生きるか
最近話題になりましたが、実は12,3年前時点で開成では中学の課題図書で、最近秘かに誇らしかったです(笑)(最近は開成でも課題図書ではないらしい)


開成中学・高校の6年間で学び、今の自分にも活きていることを書いてみました。
あくまでも僕の考え、経験であり、他の開成生はもちろんまた違う経験をしていますし、僕の記憶違いもあるかもしれません。
その時は教えてください(笑)

例のごとくめちゃめちゃ文字文字してしまいましたが、ご愛敬ということで。

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