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3度目のはじめまして

日本のゲイバーには、よくカラオケが置いてある。

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名前も年齢も職業もわからない、ただ「ゲイである」こと以外の共通点がない人と、いったい何から話していいかわからないけれど、「この曲よく知ってますね。一緒に唄っていいですか?」と言われて、一緒に歌を唄うことから始まるドキドキがある。

以前にいきつけのゲイバーで、僕がある曲を唄ってると、1人の見知らぬ男性に「一緒にいいですか?」と聞かれたので、「もちろん!」と即答。そして、唄い終わった時に、僕から「よく、この曲知ってますね。お好きなんですか?」と言ったら、

「え?この曲、あなたと一緒に唄うの、
今日で3回目ですよ。」

と言われたことがある。

ある意味ドキドキした。顔は青ざめていたと思う。なんなら白目を剥いていたかもしれない。まさか全然覚えていないだなんて、さぞあちら様も不憫だっただろう。興味がない相手だったんでしょうと言われれば、それまでだが、そんなことよりも今回のこのエピソードで僕がいいたいことは、

僕自身の『顔の認識能力の低さ』について
いささか不安を覚えたってこと。

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先日、ホームパーティに招待された。

僕は現在ボストンに住んでいて、その日、ボストン市近郊に住む日本人の友人宅のホームパーティーに行った。ホームパーティーといっても、コロナの影響もあり、たった6人であったが、料理は豪華でとても素敵な会であった。

その主催者である友人は、はブイブイいわせていたであろう色黒で短髪の50代の男性であり、よく好んでホームパーティを開催する人だった。子どもも独立し、単身赴任でボストンにきていて、公私ともに楽しんでいる様子であった。

その会の途中で昔話に花を咲かせたときに、お互いの昔の写真を見せ合った。昔といっても、ケータイに残ってる昔の写真なんて、たかが知れていて、おおよそスマホが普及し始めた8年前くらいが限界であった。

しかし、その主催者はかなり昔のご自身の写真を持っていた。

その写真は高校の時代のものもあれば、大学の時代のものもあった。当時現像した写真を丁寧にとっておいた上に、わざわざ日本からボストンに持ってきたのだろう。30年、40年も前の写真を持っているだなんて、過去を大切にしているのか、もしくは、過去に縛られているのだろう。そうでなければ、昔の写真を持ち歩く理由が僕にはみつからなかった。Googleが優秀でなければ、5年前の写真ですら見返すことはないのに。

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彼の大学時代の写真を拝見させて頂いた時に、「さて、どれがわたしでしょう」とクイズを出された。「わたし、何歳に見える?」レベルの雑なクイズであり、当てていいのか悪いのかわからない上に、大幅に外しては失礼な、パネラーとしてはずいぶんと厄介なクイズであった。あなたにとっては気楽なクイズだが、僕にとってはヒヤヒヤするクイズであることに、当の本人には気づいていない。

そして、僕はこの「昔の写真」クイズに正解した試しがない。なぜなら、数十年経過した人の顔を認識できないからである。数年前くらいだとわかるのだが、基本的に「昔の写真を持っている人」は過去の自分と比較して、変化が大きい人が大概であり、変化しすぎた顔は当然わからない。

そして今回も、ものの見事に目の前にいる本人とは違う人を指さしてしまったのである。他のホームパーティに来ていたみんなは正解していたが、僕だけ不正解であった

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医学用語で顔の認識能力がないことを「相貌失認(そうぼうしつにん)」と言われている。よく脳梗塞や脳腫瘍、または先天的に脳に障害を持つ患者さんで、人の顔の認識が全くできない場合に使われる言葉である。

数年前のテレビで相貌失認の人のエピソードを観た。事故か何かのきっかけで相貌失認になった人のドキュメンタリーであった。

その人は、家族の顔の認識どころか、鏡に映った自分の顔も認識できないほど重度であった。スーパーマーケットに家族と行って、店内でバラバラになった自分の娘たちが、再度自分の目の前に現れても全く気付かないシーンがあった。お互いに悲しい場面であった。目の前に人間がいることを認識できても、その目の前の人が自分の娘かどうかを認識できないのであった。

僕の場合はそこまで重度ではないが、このドキュメンタリー番組を通じて、脳には顔の認識を司る部位が存在していることを証明していた。

きっと僕の脳はその部分が少し弱いのだろう。

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色んな動物、例えば犬、猫、馬、鳥に表情があったり、顔面のパーツがそれぞれ若干違っているが、僕たち人間にとっては基本的にはどれも同じに見えるだろう。

毎日通勤時に「すずめ」を見るが、個別に「あ、このすずめ、昨日のすずめと違う」と判断できる人がいるだろうか?

犬猫も全部の毛を剃って丸坊主にしてしまったら、どの子が自分の飼い犬、飼い猫かわかるのかというと、僕には少し自信がない。さらに写真だけで判別しろなんて言われたら、僕は実家の猫を当てることはできないだろう。

しかし、相手が人間の場合はどうだろうか。

いくら坊主になろうが、いくら年をとろうが、顔の認識能力によって個人を判別できるだろう。インスタで30人くらい集まっている写真をUPされていても、どこに友達が写っているか判別できるだろう。そして、その写真の表情で、どんな気持ちなのかも少し解釈することができる。

それぐらい、人間の顔の認識能力は高いのである。

しかし、僕の顔の認識能力の低さは群を抜いている。数回会っても、顔を覚えられないことはしょっちゅうであり、1回で覚えられたらよほど特殊な顔なのだろう。それに呆れた友人は

「人の顔、覚える気ないでしょ?」と。

そもそも「顔を覚える気」とは、いったいどんな気力が必要なのか教えて欲しいぐらいである。だいたいそういう場合は名前が覚えられないと勘違いされることもある。違う、顔が覚えられないのだ。

目の前の人が
「以前にあった人と同じ人なのか」が
顔だけでは分からないのである。

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一方で、すべての顔が覚えられないかといわれると、そうではない。何度も会っていれば覚えられるし、さらに、「覚えられる顔」と「覚えられない顔」があるのも確かである。

覚えられない顔の特徴としては、きれいな顔の人である。

特に女性の顔は、自分がゲイだからか、基本的に覚えられない。お化粧で変化があると、もっと判別が難しい。美人で顔が整っていて大きな特徴がない場合は、まったく顔が認識できず、覚えるのに時間がかかる。

このことはノンケのふりして生活していた時に不便であった。なぜなら

「あんな綺麗な人の顔が、わからないの?」

と言われるからである。反対に特徴的な顔立ち、つまり言い方が悪いので申し訳ないのだが、おブスな顔はすぐに覚えられるのである。なんとも皮肉な話である。

しかし男の顔はどうであろうか。僕はゲイなので、やはり顔が整っている、通称イケメンの顔は十二分に覚えているのである。しかし、ブスの顔もしっかり覚えている。

結果的に、普通平々凡々な人の顔は覚えられない。


カラオケで3度も同じ曲を唄ってくれた、3度目のはじめましてのあの人は、僕の顔をどう覚えていたのだろうか。

そして、今もその人の顔を1ミリも思い出せないでいる。

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