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「速くできること」は必ずしも「ゆっくりできる」とは限らない話

この「スピード偏重の時代」に

「スピード」重視の時代である。

だいたい「速ければ速い方がいい」と思うことはあっても「遅ければ遅い方がいい」と思うことは、ほとんどない。あるとしたら、星野伸之のカーブくらいなものだ。

というか、令和の時代に星野伸之のスローカーブを例えに出して、どれほどの方にご理解いただけるかはともかくとして。

移動も、新幹線は「こだま」から「ひかり」になり、いまや「のぞみ」までスピードが進化している。このご時世に「ええ、東京から大阪まで在来線で行きますわ」という人は、そう多くはない。まあ、青春18きっぷの愛用者はまた別の話。

うっかり忘れがちだけれど「ファストフード」って「fast food」、つまり「ハヤメシ」ということ。確かにマクドナルドなんて、注文して5分待たされたら「ずいぶん待ったな」という気になる。よくよく考えると、ハンバーガーとポテトと飲み物を自分で作る・・・と想像すると、何とも恐ろしいスピードなんだけれど。

『秒速で10億円稼ぐありえない成功のカラクリ』という本が出たのが約10年前。与沢翼さんである。

しかし、今でも「爆速で稼ぐ」とか「即日配達」とか「神速仕事術」とか、そんなフレーズを目にすることは多々ある。というか昔より増えているような気すらする。

しかし。1日は私の知る限り24時間でこの40年近く変わっていないはず。にもかかわらず、みんな何をどうしてそんなに「爆速」だの「超速」だの「神速」だのにこだわるのか。

まあ、かく言う私もスーパーのレジで並んでいる時「どのレジが一番速そうか」といつも血眼になっているわけだけれども、それはまあいいとする。

とまあ、世の中は「速いことは良いこと」という前提で動いている。だがしかし。それは本当なのか。永遠なのか、本当か。時の流れは続くのか。

この後「いつまで経っても変わらない、そんなものあるだろうか」と心の中で思った(あるいは口に出した)人とはたぶん、友だちになれる。おお我が友よ。

「ゆっくりできる」ことは「速くもできる」

「なまむぎなまごめなまたまご」

この早口言葉、ドリフ世代の皆さんなら一度はトライしたことがあるのではないかと思う。

というか、このブログは「星野伸之」だの「こだま」だの「与沢翼」だの「ブルーハーツ」だの「ドリフターズ」だの、著者は一体いつの時代を生きているのか、と思われるかもしれない。ぼくもそう思う。

この早口言葉、実はゆっくり言うのも難しい。

このブログを読んでいるあなたがテレビやラジオのアナウンサーでもない限り「なまむぎなまごめなまたまご」をゆっくりと、しかし聞き取りやすく口に出すのは意外と難しいことに気付くはずだ。

そう。早口言葉のスピードを上げるには、本来は「ゆっくりでもきちんと言える」ことを習得するべきだ、とぼくは思っている。

ゆっくりと行えるものは、実はスピードを上げても大体の場合、できる。むろん、スピードに慣れる必要はあるかもしれないが、慣れてしまえば確実にできる。

「早くできる」ものは「ゆっくりもできる」とは限らない

ところが「早くできる」ものは必ずしも「ゆっくりでもできる」とは限らないのが面白いところである。

早口言葉もそうで「なまむぎなまごめなまたまご」を早口で言えたとしても、ゆっくり正確に、聞き取りやすく言えるかどうかはまた別の話だったりする。

もちろん、仕事は遅いよりは速い方が良いし、マクドナルドも注文してから30分待たされたくはない。

けれども、何かを習得しようと思う時は「遅くしてもできるか」が重要だとぼくは思う。

いつも例に出すのが武道の話で恐縮なのだが、武道の「型」がまさにそれである。

スピードを上げてやると、何となくそれなりにできているように見える。というか見えてしまう。のだけれども、ゆっくりやってみるとアラが目立ってしまう。

つまり「スピードを上げる」と「細かい部分のごまかしが利く」ということがある、とぼくはにらんでいる。にらんでいると言っても、メンチを切っているわけではない。メンチカツはもちろん食べたい。

タイパとコスパとタコパ

今どきは映画を倍速で見たり、本を読まずに要約をYouTubeで聞いたりするんだそうな。なぜかと言えば、その方が「タイパ」が良いから。

タイパって何やねん。「たい焼きパーティー」かと思ったり思わなかったりするけれど「タイムパフォーマンス」のことらしい。コスパ(コストパフォマンス)的なやつだそうな。

うん。それはそれで構わない。ぼくはやらないけれど、3時間ある映画を30分なり1時間なりで見ることに意義があるんだろう。

けれども、それで映画の「ホントのところ」が理解できるかと言えば、たぶんできない。本もそうで、内容がわかればYouTubeの要約だろうが、実際に自分で文字を目で追いかけて読んだところで同じだろうよ、と思うかもしれないが、恐らく違う。

スピードを重視する場面があることも否定はしないし、何ごともゆっくりしていたら、今の時代は時間がいくらあっても足りない。まあ、それが幸せかどうかは知らんけど、ともかく時間が足りないのは間違いない。

だが、スピードのために「質」を犠牲にしてしまうのは、大変危険なことだとぼくは思っている。スピードを上げるためにも、一度立ち止まって、ゆっくりできるようにしてみる。その余裕が必要なんじゃないかと思う。

それと「スピード」は当然ながら女の子4人組のユニットではないことだけ、最後に付け加えておきたい(どうしても言いたかっただけ、とも言う)。

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