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ショートストーリー劇場〜木曜日の恋人〜㊳ 『嘘のない世界』

 わたしの弟は嘘がつけない。

 嘘をつくとすぐ顔に出てバレてしまうとか、そういうことではなく、事実ではないことを言うことができない、つまり、能力的に嘘をつくことができないのだ。

 それが生まれついてのものなのか、後天的なものなのかは分からない。ただ、彼が言葉を覚える前、命に関わるような大病を患い、そのことが原因なんじゃないかと、両親は話していた。

 嘘がつけないのであれば黙っていればいいものの、それも自分の気持ちに嘘をつくことになるからなのだろうか、弟は思ったことをなんでも口にしてしまう。そのことで、彼自身はもちろんのこと、わたしたち家族がどれほど大変な思いをしてきたことだろう。

 弟がうんと小さな頃は、正直になんでも言うことが、子どもらしい無邪気さと受け取られていたけれど、学校へ上がる頃になると、嘘をつけないことが数々のトラブルの要因となった。

 クラスメートの容姿や学力に関して率直な意見を述べたり、教師に対してなんでも言ってしまうため、いつも先生に叱られていた。

 わたしと両親は必死になって弟に嘘をつくことを覚えさせようとした。彼の前に赤い折り紙を掲げて母は言う。

「さ、直人、言ってごらん。これは〝あお〟です」

「それは……、あかです」

 父がリンゴを手に言う。

「これは、〝みかん〟です」

「それは……、みかん……じゃありません」

 わたしたちはため息をつく。

 弟が小学校の三年生か四年生の時だった。ある晩、家族みんなでご飯を食べている時に弟は言った。

「ぼくは学校でいじめられています。ぼうりょくをふるわれることもあります。もう学校には行きたくありません」そうして弟はわんわん泣いた。

「行きたくなかったら、行かなければいいさ」父は弟の肩を叩いて言った。

 その日からわたしたちは、彼に「嘘」ではなく、勉強を教えるようになった。


 弟は、自分が嘘をつかないからか、他人の嘘には敏感で、尚且つ人を見るたしかな目があった。

大人になってから、わたしが結婚を考えていたボーイフレンドを実家に連れてきた時のことだ。弟は、父と談笑する彼のことをじーっと眺め、台所でお茶を用意する母の手伝いをしていたわたしに向かって大きな声で言った。

「おねえちゃん、ぼくこの人嫌い。この人うそつきだよ。別れたほうがいい」

 うちの中は静まり返った。

 でも実際、あとになってからそのボーイフレンドがわたしに隠していたとんでもないことが発覚して、別れることになった。

 そんな風な破談をわたしは二度ばかり経験した。

 だからわたしは、いま付き合っている彼を実家に連れて行くことを躊躇っていた。それほど本気だったし、弟が彼の本性を見抜いてしまうことが不安だった。ご両親に挨拶をしたい、という彼への返答にわたしは弟のことを正直に説明した。

「だからね、弟がなにかあなたの気に触ることを言うかもしれないけど、我慢してくれる?」

「まいったなあ。それじゃあきっと僕は嫌われちまうだろうな。だって嘘をつくことが仕事なんだから」そう言って彼は頭を掻いた。

 そうだった。彼は脚本家なのだ。架空の現実を拵えて生活している人なのだ。そういう人を弟はどう評するのだろう。そんな好奇心が不安を勝り、わたしは彼を実家に連れて行くことにした。


 いつもと同じ、例の眼差しを弟から向けられた彼を残し、わたしは台所で母とお茶の用意をしていた。

「素敵な方じゃない。あとは直人がどう言うかね」と母は不安そうに言った。

「うん、わかってる」

 リビングから、カエル十匹がいっせいに鳴くような弟の笑い声が聞こえてきた。弟はちょっと独特な笑い方をするのだ。その笑い声を聞いて母とわたしは顔を見合わせて安堵して笑った。

「おねえちゃん、この人面白いね」、わたしがリビングにお茶を持っていくと弟は言った。

「でしょ。気に入った?」

「うん」

「でもね、彼、脚本家なのよ、本当じゃない話をつくる人なんだよ」とわたしはちょっと弟を試してみる。弟は首を振った。

「それは嘘じゃないよ。物語って、その人がどういう風にこの世界を見ているのか、それをありのまま書けば作り話でも嘘じゃない。彼、嘘がつけない人だね」

 彼は目を細め、とても感心して弟を見ていた。

 こうして弟に受け入れられた彼とわたしは結婚をすることになった。


 それから一年ばかり経ち、わたしたちは式を挙げた。

 ドレスの着付けとメイクを終わらせたわたしは控室で弟と会った。

 弟の前で一周回り、ドレス姿を披露する。

「どう? 綺麗?」とわたしは聞く。

「うん、綺麗、とっても」

 それがお世辞じゃないことをわたしはよく知っている。

「直人、わたしがお嫁に行っちゃうの寂しいでしょ」とわたしは言った。

弟は微笑んでこう答えた。

「うん、寂しい、でも、嬉しい」

 この嘘偽りのない答えに、わたしは声をあげて泣いてしまった。

「あ、でも、そうやって泣くおねえちゃん、けっこうブス」

「もう、やめてよ」

 わたしたちは笑った。


 嘘をつくことの大切さと醜さを、わたしは弟から学んだ。

 あけすけなその言動に随分と頭に来たこともあったけど、やっぱりわたしにとってはかけがえのない愛おしい存在なのだ。

 これが、弟に対する、わたしの嘘偽りない気持ちだ。



・曲 Billie Holiday / It's a sin to tell a lie


SKYWAVE FMで毎週木曜日23時より放送中の番組「Dream Night」内で不定期連載中の「木曜日の恋人」というコーナーで、パーソナリティの東別府夢さんが朗読してくれたおはなしです。
上記は4月20日放送回の朗読原稿です。

先日ふと西城秀樹さんが歌う「走れ正直者」をあらためて聞いてみたところ、なんていい曲だろう、なんて力強い歌声なんだ、と感動いたしまして、その勢いで正直者の話を書きました。
朗読のあとに流れる曲も当然それにしようと思ったのですが、諸事情で違う曲にしました。

朗読動画も公開中です。よろしくお願いします。


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