人類のレイプの歴史

【閲覧注意】 まじめな考察ですが、18歳未満は読まない方がいいかもしれません。

どちらかというと自分でも性欲の強い方だと思って生きてきたが、レイプだけは考えたことはなかった。
あるいは映画などでそういうシーンがあっても、性的には興奮せず、むしろ目をそむけてきた。

しかし、あるとき、こんな経験をした。僕は1組の担任で1組で授業をしていたのだが、2組で騒ぎが持ち上がり、先生の「待ちなさい」という声が聞こえた。
だので、廊下を覗くと、ふだん学校には来ないが今日は来ていた女生徒が教室を飛び出したところだった。

60前の女性の先生が追いかけていく。
女生徒は興奮していて、その女性教師ではいざというとき、抑えきれないと思い、僕は自分のクラスには「ちょっと次の問いを考えていなさい」と言って、廊下に出て、後を追った。

少女は階段を下りて一階の渡り廊下を渡り、向かい側の校舎に入った。
先生が「待ちなさい」といくら言っても聞かない。
僕が背後から「○○先生とゆっくり話すといい。悩みも言ったらいい。とにかく、授業中にうろちょろするのはあかん。相談室に行くのはどうや」などと話しかけたが、少女はそこらにあるものを蹴り倒しながら、進んでいく。

女性教師が追いついて、女生徒の肩に手をかけた。
と、少女はそこの壁に立てかけてあったパイプ椅子を手に持つと、頭の上に振り上げた。そのまま女性教師に向かって振り下ろしたら大変なことになる。

僕は慌てて駆け寄ってそのパイプ椅子を力で取り上げた。(まだ心臓発作前で普通に動けた頃です。)そして、少女の両手首を持って、壁に押さえ付けた。
「○○先生と相談室で落ち着いて話をしなさい」

その時だった。

僕が圧倒的な男性の力で少女を壁に押さえ付けると、少女の手からも体全体からも、ヘナヘナとすべての力が抜けた。
そんなことは初めて体験したので、僕は「えっ?」と思った。

次の瞬間、正直に言うと、その女生徒の120パーセントのセクシャリティを感じた。
頭がくらくらして、その少女に吸い込まれていくような感覚があった。ここは、このまま性行為に及ぶのがとても自然な流れなような気がした。

そんな自分を見たのは初めてだったので驚いた。

比較するとするなら、沖縄の万座毛の断崖の上から珊瑚の海を覗き込んだとき、自殺などまったく考えていなかった当時の自分がいつのまにか、もしもここで飛び降りたら、どんなに気持ちいいだろうか・・・と考え始めていたことを思い出す。
それもまた自分の意志とは無関係にくらくらと吸い込まれるような感覚だったからだ。
死への衝動タナトスと、レイプというエロースの究極はある意味裏表なのかもしれない。
僕はあのとき、慌ててその考えを打ち消し、断崖から遠ざかった。落ち着くと、しばらく自分ではなくなっていたような気がした。

そのときと同じように僕は何かに強く吸い込まれるような感覚を覚え、戦慄した。
頭の中で人類の虐殺とレイプの歴史が絵巻物のようにクルクルと繰り広げられる感じがした。
僕は、あっ、わかったと思った。
戦争の最中などに、相手の村に攻め入ったときに圧倒的な力の差の中で起こってきたこと。
これが人類史の中で繰り返し起こってきたことなのだと思った。

その少女は家庭で性虐待を受けている可能性もあり、だから余計に、男性に圧倒的な力で押さえ付けられたとき、すべてをゆだねるようにして、力が完全に抜けた状態に入ってしまうのかもしれない。
しかし、僕にはなんとか思考力が残っていたし、それにそこは戦乱中ではなかったし、逆に学校という最も理性の保持が重要なシチュエーションだった。しかもすぐそばに年配の女性の先生もいた。

そうでなくても、あの万座毛の断崖から遠ざかったときのように自分の意志で、遠ざかることができたと思う。
が、これがもし戦争中で、上官の命令で多くの仲間と共に敵の村に攻め込んだときだとしたら?
「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」それが人間の姿であるという親鸞の言葉が脳裏をよぎった。
「椅子はもう振り上げないと約束せえ。○○先生と相談室に言って、ゆっくり話をすると約束せえ。約束したら手を離す」と僕は言った。
少女は、力なくコクンと頷いた。
僕は両手を離した。

このときの経験は、特殊な瞑想中のある体験にとても似ていた。
検索すると、それについて書いた文章が出てきたので、(少し推敲して)一緒にコピペしておく。

(以下瞑想中のこと)

そして瞑想が極まってきたとき、僕は歴史の中で何度も虐殺し、虐殺され、レイプし、レイプされてきたと強く感じた。

虐殺したのもされたのも、レイプしたのもされたのも、他ならぬこの僕だ!と、とてもリアルに感じた。

すると激しい嘔吐がこみ上げてきた。おおおお、吐きそう、吐きそうと思った。とその僕の背後にうじゃうじゃと、無数の霊が集ってきた。(と感じた。)

「とうとうそのときがきたんやなあ。さあ、思い切り吐きなはれ。背中さすっといてあげるさかいに」
霊たちはそういうメッセージを僕の背後から発していた。

で、僕はこれはいいことなんだ、吐くべきときが来たんだと確信した。
そして、安心して思い切り吐いた。
ゲボゲボという吐き方ではない。
胃の中から噴水を噴くみたいに、吐瀉物はぴゅーっと高く飛んだ。

そのあと、心身が完全にクリアーになった。
それはとても気持ちいい状態だった。
いや、気持ちいいという感覚さえ越えたような「完全に透明な状態」だった。

少なくとも、サハスラーラチャクラからクンダリニーが噴水になって吹き上げたときよりも、「完全に透明な状態」だった。
なんという深い浄化。
霊たちはそのあと、すぐさわさわさわと消えていった。(と感じた。)

「ども、見守ってくれてありがと。ご苦労さん」と僕は念った。

そのときに認識した「僕は歴史の中で何度も虐殺し、虐殺され、レイプし、レイプされてきたというリアル」。

これは、果てなき深いカルマの認識として、僕の中に刻みつけられた。

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