天皇制仏教の解体が日本における釈迦の道

facebookで天皇制の話題のコメント欄に書きました。

私には出家という自覚はないです。(一応OSHOのサニヤシンだけど。w)ただ、家は解散しました。出るより、解散がもっとラディカルと思います。しかし、ヒッピーの先輩たちのように出世間しているとは言えず、
今なお、31年間教員をした年金に依存しています。
それまでも公務員だったので、国家との関係はきついです。
しかし、日の丸、君が代拒否、道徳教育実質拒否、裏かいてその時間に反戦平和、反原発反米反日教育など、ゲリラしてきたつもりです。
しかし、学校の表の権威に寄りかかっていたから、虚仮不実と思います。そうでないと、道端で同じ話をしても、殆ど誰も聞かないし、投げ銭があっても教員の給料にはまったく及ばなかったでしょう。
しかし、国家の作ったシステムの中でどこまで国家にそっぽ向けるかという実験はしてきたと言えます。

Mさんの書かれていることはいつも感じていることで、寺は世襲の家制度の最たるものです。また、家制度の蝶つがいたる墓制度を担っており、天皇制の犬です。墓制度は家制度の屋台骨です。
だから、寺から出家する、むしろ解散するのが、脱天皇制と思います。私は天皇制を支えないため、自分の立ち位置でできることとして、墓を捨て寺と縁を切り、家を解散しました。

そもそも日本仏教は、天皇家が神道により支配するべきか、仏教により支配するべきかという戦争に仏教側が勝ったことに始まっています。結局、両方により支配することになりましたが、一応、戦争に勝ったのは仏教側で、聖徳太子はそのイデオローグです。

鎌倉仏教、特に親鸞はその日本仏教を解体することが、釈迦の道なのだとはっきりさせた人です。
だから、親鸞の聖徳太子和讃はすべて偽作だと私は何度も主張しているのです。
親鸞の一番の功績は、天皇制仏教を釈迦の道に戻したことです。
だから、そこから教団を作ってはならなかったのです。
親鸞の仕事の本質が天皇制仏教の解体にあったと書いた家永三郎の日本史は検定不合格になりました。が、裁判の結果、家永側は勝訴しました。事実が書かれていたからです。
しかし、それ以後、その親鸞の仕事の意義をはっきり書いた教科書は現れませんでした。
なぜ、誰も書かないのか、それも私は怒っています。
という話を私は猿田彦神社で「螺旋」の研究発表でしました。鎌田東二が講評で、酷評しましたが、あとのまつりで、梗概で主に島薗進の推しで奨励論文に選ばれていた「螺旋」はその時既に100枚になって、サルタヒコフォーラムの機関誌に掲載されていたのです。
後にそれを春秋社に持ち込むと400枚に膨らませてくれと言われてそうしましたが、春秋社は何度も改稿を迫るし、担当は読み込めていないと感じ、第三書館に持ち込むと、創価学会批判が抜けている、それを加えたらうちから出したいと言われて出しました。
第三書館が破産して増刷できませんが、アマゾンで古本が高騰しています。
noteに出した改訂増補版は、より徹底したものになっているので、宗教関係者全員にいやすべての「日本人」に読んでほしいと私は思っているのです。
と、いきなり宣伝で終わる。本当の出家はお金に触らない。(-_-;)

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完成しました! 「魂の螺旋ダンス」改訂増補版最新推敲版を読みやすい形式ですべて読めます。

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