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『リチャード・ジュエル』/性善説を信じる映画作家(映画感想文)

18歳から34歳のアメリカ人で新聞を読んでいるものは3割に満たない。それも大半は地元紙で『NYタイムズ』などの国際記事や国政を扱う全国紙を読むのはさらにその半分程度というのが05年の調査で判った。ニュースはテレビで得ているのだろうか? いや、CNNの視聴者の平均年齢は60代。ではインターネットが主流なのかとこちらも調べてみるとネットニュースで時事ニュースをチェックする人たちは11パーセント程度だったそうだ。
白人といえば大半がインテリ知識層で世界を牽引していると考えていたがどうやらそうではないらしい。ブッシュが政権を担うようになった頃、一部のインテリが多くの情報貧困の大衆を都合よく操作しているのだと知った。イスラム教圏への攻撃はキリスト教原理主義者の票を得るため、中絶の禁止も同様。文明先進国アメリカというのは表面だけを見て描いている幻想らしい。生物の進化がキリストの教えと異なるという理由で学校での理科の授業を禁止した町まであるというのが現実のアメリカだ。

『リチャード・ジュエル』(20)はそんなアメリカ社会で起こったある事件を基にした、ほぼ実話の映画化。監督はクリント・イーストウッド。

ジュエルがFBIの狡猾な手法にはまっていくプロセスは一見滑稽に見えるが、これも真実のアメリカなのかも。司法の執行者として公権力を得たインテリが純粋だが無知なものを陥れていく。とても怖い。
独身で母親と同居し、定職というにはいささか物足りない仕事に従事し、そして人の役に立つ警官という職業に憧れを持つジュエル。承認欲求なのかもしれないが、誰かの役に立つ仕事に就きたいという思いは健全だ。その健全な意思を「警官という職業への過剰な執着」「変質的な規律の尊重」と解釈する社会の側が歪なのだが、伝える語り口ひとつで、人々は正しいものを見誤り邪な考えを鵜呑みにしてしまう。

しかしただの大衆批判でも善人賛歌でもない。
イーストウッドの手腕に感嘆するのは「だから大衆は騙されやすい」といったメッセージが一切仕掛けられてはいないこと。凡庸な監督ならジュエルが近隣の住人や立ち寄った店などで直接糾弾される場面を挿入するだろうが、そうはしない。一般的な市民に後ろ指差される場面を入れないのは監督自身が一市民であることに自覚的で、同時にごく普通の人々が持つ性善的なものを信じているからだ。
常にジュエルを責めるのはメディアのなかの人である。作品のテーマが「メディアや公権力には大衆を騙す力がある」であるということがそれに因りつまびらかになる。
89歳にしてこれだけの地位を得た人間なら自分でもそれと知らずに体制寄りの驕った描写をうかつにしてしまいそうなものなのに、…。さすが、クリント。それだけ怒っているのか。

イーストウッドは大変な調べ屋で、細かなところまで突っ込んで取材もする。映画のための捏造はやらない。自分が訴えたいこともある筈なのだが、現実を借りてそれを上手に説明しようなんて態度はとらない。ただ、埋もれそうだったりゆがめられそうだったりする何かを彼は見出し、それを第三者的に大衆に問題として提示し、解答は個々にゆだねる。
やっていることはアメリカ映画史の再構築であり、そしてアメリカ人の良心の復活だと僕は思っている。
 
それにしてもここ最近の監督作を見て、いよいよ円熟味と重厚さを増しどれが最後の作品となってもおかしくないよなー、と思っていたが、どうやらまだまだヤル気のようだ。
良作だが諦観と悲観に満ちた映画が多いなか、『リチャード・ジュエル』はとてもハッピーな気分になれる、バディものとしても最高に軽やかな映画。とても溌剌としている。

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