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大江健三郎「キルプの軍団」

刊行年は1988年。大江さんは、えーっと、1935年生まれだから…、53歳か。

話としては、高校生のオーちゃんが主人公の一人称小説。

あらすじ 

オーちゃんのおじさん、忠叔父さんにディケンズ「骨董屋」を教わる師弟関係から、オーちゃんは原さん・百恵さん夫妻の(森のなかでの)奇妙な生活にまきこまれる。
しかも、そこにかつての左派闘争の過去が入り込んできて…。

感想。
この小説には二つメインがある。
一.忠叔父さんとのディケンズの読み直しを含めた交流
二.原さん・百恵さん夫妻と、原さんの左派闘争にまつわる過去を巡る話
この両者を結びつけるカメラの役割が大江さんの息子さん(を連想させる)「オーちゃん」に託されているようだ。

で、私が読んでいる岩波の文庫は本文が369ページ。
けっこう多そうに見える。

だが、さっき言った通り話の軸は大きく二つ。
そこに「家族小説」(大江健三郎本人を思わせる人物も当然「父」として出てくる)、ディケンズとドストエフスキーの引用、オーちゃんの学校生活(オリエンテーリング部の活動、大学進学)などが詰め込まれる。
その結果、作品の一つ一つの主題の追求が(ちょっと)緩い。

左派闘争の過去の話は結局、「鳩山さん」(失礼極まりない話だが私は鳩山由紀夫が頭に浮かんでなかなかイメージが取れなかった)という標的と間違われた原さんが過激派の青年たちに殺され終わる(ただし暗い終わり方ではない)。
左派青年の暴力と悲惨は大江さんの作品でたくさん見てきたが、「キルプの軍団」ではやはり布一枚置いた感じはある。

作品に十九世紀小説の引用があるように、ドラマツルギーのある、活き活きした小説を大江さんは書こうとしたのかと思う。
もちろん、話の方向が多方向で、どうしても一つ一つの要素だけ見れば、大江さんのいわゆる「代表作」よりは一歩劣るように思う。
でも、オーちゃんの語りは若々しくて楽しく、最後の、光さんとのエピソードも、とても清らかな印象を受けた。

読んで後悔する小説ではない。そんな長編。

(追記)タイトルの「キルプの軍団」について。
キルプというのは、ディケンズ「骨董屋」の悪役。だからその軍団ということだ。
これは作中、オーちゃんの夢という形で、左派の、引いては人類の、愚かな暴力性、悪意の象徴のように読める。
村上春樹氏の「悪」とその描きかたは似ている(どちらも弱いものの側に立ち、強いものと闘う力のある作家だった)
ただ、作中、オーちゃんはキルプに同情的だ。キルプの姿にある種の無邪気さを読む。
これは「悪」を「悪」として終わらせ、倒すもの、闘うものとして一面化する「善」―そうしたこわばった二項対立、に対する、別の(柔らかな)方法として、考えるべき手段だと思った。

村上氏の「悪」との闘いが、どこかで私はやや硬直してしまったように思っている。きちんとした根拠も示さず言うことだが……
難しい問題だ、不寛容に対して寛容さを保つべきか。そうした問いはいつも。

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