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  • 三島由紀夫「憂国」以後の短編感想

    三島由紀夫「憂国」以後の短編の感想をまとめています。読むときの参考になれば幸いです。ただ悪口が多いです。

最近の記事

川野芽生「無垢なる花たちのためのユートピア」

目元より上を、白と赤紫のまだらに混ざった花に覆われた中性的な未成年者。 白い布地の、上は肩の出た柔らかな服、下は同じ生地の、太ももの中ほどまでを覆う半ズボン。 目元の花びらは今しがたも散り続けている。 副題の「THE NOWHERE GARDEN FOR THE INNOCENT」の文字列は白い蔓の装飾に両端から挟まれている。 背景には水のような空のような青色。 本作「無垢なる花たちのためのユートピア」の表紙である。 実際本文を読むと単なる美しさではなく醜さが、美しさと対立

    • 三島由紀夫「朝倉」ほか

      昭和十九年―一九四四年、三島由紀夫十九歳の作品。 解説から引くと「平安後期の散佚物語「朝倉」を藍本(注:原典)としたもの。」 さて、散佚物語と聞くとついついロマンを感じてしまう。ロマン結構結構。 だが実際は物語に目新しさや個性が少なく単に自然淘汰された作が少なくないとか。  この「朝倉」も同様。朝倉君と中将の悲恋物語だが、この物語特有の個性は感じられず、三島の作品としても強い魅力は見当たらない。 ではなぜ紹介したか。最後に入水した朝倉君の描写を引用したかったのだ。 三島

      • 三島由紀夫「世々に残さん」

        三島由紀夫「世々に残さん」。昭和十八年―一九四三年、三島由紀夫十八歳の作品。 三島本人の言葉を借りるなら「平家没落哀史」―源平合戦のさなかに滅びゆく平家の若者の姿を描いた短編である。 まず本作で驚くのはその緊密な構成だ。 主旋律に今をときめく美青年の春家と山吹の儚い恋物語があり、副旋律に出家した秋経と遊女の珊瑚の当てもない流離譚がある。 擬古文の完成度も素晴らしい。擬古文は扱いの難しい表現だ、下手すると文章から自然な呼吸が失われる。 ところが本作は―やや怪しいところがあるの

        • 森茉莉「恋人たちの森」

          森茉莉氏の「恋人たちの森」冒頭に置かれた詩篇。 筆者は男性同士の同性愛を扱う作品には疎いが、いわゆる抱く側がこの詩を創ったギドウ(義童)、抱かれる側がパウロ(巴羅)で当っているだろうか、本作は彼らの恋愛模様を豪奢な文体で描き出した短編である。  この二人の特徴について見ていきたい。 ギドウは、 「バスチィユ牢獄」―バスティーユ牢獄。ここへのパリ民衆の襲撃が一般にフランス革命の開始と言われる。 「マラアの半裸身」のマラアは聖母マリアのこと。 「洋袴」はズボン。「徽章のあるベ

        川野芽生「無垢なる花たちのためのユートピア」

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        • 三島由紀夫「憂国」以後の短編感想
          21本

        記事

          古井由吉「われもまた天に」ほか一冊

          古井由吉「われもまた天に」。三作の短編と遺稿からなる短編集だが、今回は三作の短編のみ扱いたい。理由は後述する。 〈春の雛〉 始まりの文章は「二月四日は立春にあたった。」二十四節気の一つで、暦の上では春ということになる。 ここから話は時間と空間を越え、自由に流れ出すいつもの古井氏の作風になる。一応大枠だけ拾うと、 1.入院→2.退院→3.救急車の音についての随想→4.とある老人の話→5.旅の話→6.無為の話→7.雛の話→8.能面の話→9.夜道を女性とすれ違う話→10.再び現

          古井由吉「われもまた天に」ほか一冊

          今村夏子「星の子」ほか一冊

          今村夏子氏の「星の子」。まず装画が美しい小説だ。植田真氏―絵本のイラストを数多く担当していらっしゃる方によるもの。 水彩の山々の上を流れ星が一つ流れ、その上に星空が広がっている。寒色でまとめられた奥行きのある風景画だ。 ただ、この美しい風景の印象に騙されてはいけない。というのは本作には「うっすらした気持ち悪さ」が常に広がっている。普通といえば普通の世界だが何かおかしい。この点、恐怖の対象が鮮明なホラーの方がまだ気楽だと思える。 以下あらすじなど紹介していく。 あらすじ:林

          今村夏子「星の子」ほか一冊

          中村文則「教団X」

          中村文則「教団X」。分厚い小説で計567ページもある。 ただ、これだけで読む気を失わないでほしい。実際読むと思ったより楽に読める、気楽に聞いてほしい。 まず本作は、古今東西繰り返されてきた善VS悪の構図を持つ小説だ。 善の代表格が松尾さん(松尾正太郎)。悪の代表格が沢渡。それぞれ宗教団体を持っている。 この二人さえ掴んでおけば覚えるのは男が二人と女が一人だけ。 まず最重要人物に当たる男が高原。彼はかつてアフリカ某国でカルト教団ラルセシル教の『YG』に、暴力的な形で信仰を持つ

          中村文則「教団X」

          最近読んだ本

          「はつなつみずうみ分光器」瀬戸夏子編著。二〇〇〇年代以降に出版された歌集を約三十ほど収録した短歌アンソロジー。 そのなかに異質な歌風の歌人がいたので紹介したい。 排卵日小雨のように訪れて手帳のすみにたましいと書く 山崎聡子作 その他の歌も列挙する。 真夜中に義兄の背中で満たされたバスタブのその硬さを思う 義兄と見る「イージーライダー」ちらちらと眠った姉の頬を照らせば 「秘密ね」と耳打ちをして渡された卵がぐらぐら揺れるポケット 「センセイの部屋はなんだか冷蔵庫みたい

          最近読んだ本

          コーマック・マッカーシー「ブラッド・メリディアン―あるいは西部の夕陽の赤―」副題の通り西部劇の形式を借りた小説。 あらすじ:19世紀半ばのアメリカが舞台。14歳で家出した主人公の少年は各地を放浪した末グラントン大尉率いるインディアン討伐隊に加わった。そこには異様な思想を持つ大男のホールデン判事がいる。部隊は容赦ない殺戮を続けていき―『文庫裏/あらすじ要約』 この小説の目玉は(恐らく)ホールデン判事の徹底した思想にあるので、まず適当に引用しつつ説明させてほしい。 しかしこの

          最近読んだ本

          池澤夏樹「短編コレクションII」から三篇。 サルマン・ラシュディ「無料のラジオ」。 あらすじがなかなか衝撃的だった。 無料のラジオを貰うため断種手術を受けた、俗っぽい未亡人に惚れている青年の話なのだ。 この一部は実話である。 インディラ・ガンディー首相―いわくインド版サッチャーとも呼ばれたこの首相が、実際にインドで断種政策を実行したらしい。 国家による人口抑制政策として中国の一人っ子政策は有名だが、インドでそんな政策が行われていたとは知らなかった。 カズオ・イシグロ「日の

          最近読んだ本

          コーマック・マッカーシー「ノー・カントリー・フォー・オールド・メン」。 あらすじ。「ヴェトナム帰還兵モスはメキシコ国境付近で麻薬密売人が殺された現場に遭遇する。モスは大金が入った鞄を持ち逃げするも非情な殺し屋シガーが追ってくる。必死の逃亡劇の行方は。」 タイトルは「ここは老人たちの住める国ではない」、現在のアメリカの状況を比喩として語ったものだと聞く。元はイェイツの詩。 主要人物は三人。モスは何の変哲もない保安官だが大金に目が眩む。シガーは恐ろしい殺し屋。キャトルガン(家畜殺

          最近読んだ本など

          コーマック・マッカーシー「ザ・ロード」。「ポストアプカリプス」と言えば伝わるだろうか、世界終末後の物語である。この前紹介した飛浩隆氏の「グラン・ヴァカンス」も世界終末後を扱っていたが、向こうが青空なら本作は黒雲である。 父と息子がショッピングカートに乗って滅びた世界を進み続ける。 元々カート・ヴォネガット、村上春樹など良い意味で「純文学」らしくない作品が私は好きでこれも読んだ。しかも聖書がモチーフになっていると聞き期待したが、正直、思ったほどではなかった。 問題点は話が解り

          最近読んだ本など

          世界/日本文学の「晩年」を読む

          扱うのは J・M・クッツェー「遅い男」 フィリップ・ロス「ダイング・アニマル」 レイモンド・カーヴァー「使い走り」 谷崎潤一郎「瘋癲老人日記」 大江健三郎「晩年様式集」 泉鏡花「縷紅新草」 どれか一つ興味があるなら、そこだけでも気軽に読んでほしい。 J・M・クッツェー「遅い男」―煉獄を巡るポール・レマン―〈エリザベス・コステロもの〉 この作品はクッツェーの連作「エリザベス・コステロもの」の一つ。(過激な動物愛護精神を持つ)女性作家エリザベス・コステロが主役・脇役として登場

          世界/日本文学の「晩年」を読む

          倉橋由美子桂子さんシリーズ+慧君シリーズ

          〈美しく醜い貴族のまなざし―桂子さん―〉 「夢の浮橋」。1970年の作品。桂子という若く美しい女性には耕一という恋人がいるのだが二人は実は……。 タイトル「夢の浮橋」は、まず藤原定家の「春の夜の夢の浮橋とだえして嶺にわかるる横雲の空」―先行する短歌の引用や源氏物語「夢の浮橋」の連想から読まれた技巧的な秀歌と谷崎潤一郎の「母恋もの」の中絶作「夢の浮橋」(下記のリンクから冒頭が読める)双方に架かっている。 ここで源氏物語宇治十帖についても少し話したい。宇治十帖―光源氏「雲隠」

          倉橋由美子桂子さんシリーズ+慧君シリーズ

          「猫と庄造と二人のおんなたちは風の歌を聴け」

          できれば本文と見比べながら読んでほしい。 「福子さん、このようなぶしつけな手紙を送ることを、どうか許してください。この手紙は雪さんの名義で出しましたが、もちろん彼女が送ったものではありません。察しの良いあなたならこれが私からの手紙だと気が付かれたことと思います。そしてあなたの友達の名前を無断で使った私を、おそらくは信用のならない人間と判断したはずですね。でも福子さん、私があなたにこの手紙を読んでもらうために、手元に残されていた方法はたったこれだけだったのです。それから私はこ

          「猫と庄造と二人のおんなたちは風の歌を聴け」

          山岸凉子「艮」

          を読みながらどうしてこう、無性に面白いのだろうと首を傾げた。 凄みなら「天人唐草」、しみじみ読むなら「白眼子」、個人的な愛着なら「月読」(それぞれ今後紹介できればしたい)と筆者も山岸凉子作品をこよなく愛する良き読者の一人だと信じている―いたい―が、しかし氏の作品の何がこんなに面白いのかよく分からないのも事実なのだ。 そこで当記事の目標は、山岸凉子氏の作品の面白さを(最新作「艮」を頼りに)言語化することにある。 収録作品は四つ。表題作「艮」、「死神」、「時計草」、「ドラゴンメ