1993年のオーストリア・モーツァルト №57〈ウィーン №9〉
1993年7月、転職のはざまに2週間の自由(失業)期間ができて、これはチャンス。リュックを背負ったエコノミーな個人旅行で、憧れのオーストリアへ行きました。
今年はちょうど30周年、当時はスマホはもちろんなく、携帯電話すら一般にはまだ普及していなかった時代。世の中随分変わりましたね。
旅行中の日記がこの『旅日記』の元ネタです。写真も交えて旅のあれこれを思い返しながらつづっていきます。そんな、よしなしごとにお付き合いいただければ幸いです。
ウィーン♪ №5(郵便局、日本へ小包を送ろうとしたら……2)
1993(平成5)年7月20日(火)朝
そこで彼は、そのつど「ダス・イスト・ブーフ(これは本)」といいながら、パンフレット(明らかに「本」ではない)のいくつかを取り出していき、とうとう2キログラム以下にしてしまった。(※1)
そして小包の箱をもう一つ作って、それに本当の「本」と彼が本にしてしまった「パンフレット類」とを詰めた。
こちらも5キログラムの規定に収まった。彼の親切と機転に感謝して丁重に「サンキュー・ヴェリー・マッチ」と言い、つぎに行くように教えられた3番の窓口へ行った。(※2)
今度は女性。ところがこのおばさんが実に怖い。笑顔一つとしてなく、しかも英語をまったく喋らない。情けないけど彼女の言っている言葉がぜんぜんわからない。
小さな紙きれを2枚ぼくに渡して盛んに喋ってくる。名前を書くのかなと思い「ナーメ?」と聞くと、怒ったような顔で「ナイン!(ちがう)」。何を聴いても「ナイン!」と言いそうだった。(※3)
――つづく――
※1 この局員さんの行為は、郵便局の規定から言うと「アウト」でしょう。でも、外国人旅行者の私から見れば感嘆すべき「タイムリーヒット」でした。
※2 この時点で、もう郵送作業はほぼ完了したという達成感と局員への感謝の念で、顔には微笑みすら浮かべていたと思います。ところが、実はここからが大変でしてん……。
※3 単語を並べる程度の片言隻句ならまだしも、普通の会話レベルともなると、ドイツ語に全く歯が立ちませんでした。相手が英語もしゃべらない場合は、コミュニケート手段は閉ざされてしまうのでしょうか……。(続く)
※標題画像はウィーンの周回道路、リンクを走る路面電車です。
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