文学研究と時限爆弾

大学時代、特に印象に残っている講義がある。一般教養の英語の講義だったのだが、なぜかその日は村上春樹の短編「パン屋再襲撃」の英訳と原文が掲載されたレジュメが配られ、

この文章を読んで、なぜ「彼女」はもう一度パン屋を襲うことを「僕」に持ちかけたのか考えなさい。

と先生は言ったのである。(手元に文春文庫をお持ちの人はP17の9行目からP26の6行目までを読んで考えてみてほしい)

私は書かれた文を読み、

前回の「僕」の襲撃は、ワグナーを聴くだけでパンが手に入ってしまい、強奪としては失敗だった。その経験によって「僕」の心に残ったわだかまりを、「彼女」は今の相棒として解消してあげたいと考えたから。

こんなような答えをレジュメの端にメモした。

その後、その先生は、「この問題を『国語』の問題を捉えた場合の答えはこうです。」と言って、おおよそ私がメモしたのと似たような答えを読み上げた。
その後。「しかし、私の答えはこうです。」と言って、「『僕』の初恋の女性が自殺していたから。」(確かそんなような答えだったと思う)という解を講堂前方のスクリーンに映した。

そこからの説明について詳しくは覚えていないし、半端な記憶で補完して齟齬があっても迷惑がかかりそうなので解説は割愛する。ただ、私がメモした「国語的な答え」よりっもよっぽど納得感があったことだけは覚えている。そして、私がこの講義で明確に「国語と文学研究の違い」というものを自覚したのである。

国語と文学研究の違いについて

国語は、提示される文章が全てである。「この文章だけでは決定打にかけるかな」と思っても、最も妥当な解を導き出すことが求められるし、それが正答になるのが国語である。逆に言えば、国語の問題は必ず、提示した文章を読みさえすえば、答えが導けるように設定されている。文章だけでは読者が自分の言葉で説明するのは難しいかも、ということであれば、作問側は模範解答を作成して誤答の中に織り交ぜ、記号選択問題として出題する。その場合、誤答選択肢は、それが誤答たり得る根拠が必ず文章内から導けるように作成されている。だから、「国語は正解なんてないはずなのに、テストで○×がつけられるのはおかしい!」みたいな主張は通らないのである。なぜなら、個々人の「読み」に正解はないかもしれないにしても、「国語」というジャンルにおいては答えが存在するように作られているからだ。

一方、文学研究は、「提示される文章」が限定されていない。たとえば、ある一つの文学作品について論じるとき、その作品が文芸誌に初めて掲載されたときのテクストと、全集に収録されたときのテクストを比較することもあれば、その作者がかねてから多大に影響を受けている、と公言している前時代の作家の類似作品を辿ることもある。その作品が発表された同時代の作品から差異を見出すこともあれば、当時の書評や作家本人のインタビューを読んだり、その作品と作者がこれまで書いてきた作品との類似点・相違点について考えることもある。つまり、文学研究は「提示される文章」が研究対象の作品1つに限定されないのである。根拠や説得性をもって提示できる他のテクストがあるのなら大いに提示した方がよい、ということになるのである。
そして、これが何より重要なのだが、導き出される結論は「暫定的なもの」でしかあり得ない。これも、必ず答えが導き出せる国語との相違である。より良い説が出てきたら、それまでの結論は覆される可能性を常に抱えている。これについては、文学研究だけでなく、その他、自然科学も含めた学問全てにおいて言えることだとは思うが。

文学研究とは

文学研究のやり方について上で少し例を述べたが、このような話を講義でしてくれることはあまりない。理系では、まず1年次に研究の基礎となる数学などを学び・・・といった形でメソッドから教えてくれることが多いと聞くが、文学部では、「こういった文学があります」といった文学史概論をやったら、「この作品はこのように研究していくことで、こうした新たな読みが得られるでしょうか」といった、特定の研究対象をテーマにした演習・講義が始まる。基本的にはそうした中で「ああ、文学研究というのはこうやってやるのか」と帰納法的に学んでいくことになるわけである。

ただ、大学を卒業して数年経った私個人の意見として、振り返ったときに「文学」について詳しくはなっていても、「文学研究」について詳しくなっている感じがしないなと思う。そもそも「文学研究」という学問は、どのように発展してきたのだろうか。

下記のサイトでも一般人がざっくり知ることはできる。

リベラルアーツガイド
【文学理論とは】学ぶ意義・歴史を必読書とともにわかりやすく解説
https://liberal-arts-guide.com/literary-theory/

【文芸批評とは】意味・代表的な手法・歴史をわかりやすく解説
https://liberal-arts-guide.com/literary-criticism/


ざっくり私の理解したところをまとめると、文学研究とは、古代ギリシアでアリストテレスが『詩学』を表し、文学を研究対象としたのを嚆矢とする。当時は1つの評価基準をベースに「良い文学/悪い文学」を判断する裁断批評という方法で、どちらかというと「創作のための指南書」という側面が強かった。
それがルネサンスになると、1つの評価基準ではなく「個人の感性」を重視した印象批評や、道徳教育と結びつけられた効用批評というのが出てくる。
また、文学作品を作家の実生活の反映とみなし、作家の実相に迫り本質をつかむ伝記的批評(作家論)も現れたが、それとは逆に近代になると、文学作品を作家から切り離し、作品そのものの構造や技巧を研究する新批評が登場する。これは、「作者の死」という言葉に代表される「テクスト論」に発展していく。また、ロシアで起こった「フォルマリズム」という動きでは、「文学がもつ文学性とは何か」が研究されるようになり、それが現代で「文学理論」へと発展する。
「文学理論」では、マルクス主義批評やフェミニズム批評などの新たな理論を軸にテクストを読む試みが起こるようになった。

文学研究(批評)においては、ある程度の流行り廃りはあれど、古い読み方が新しい読み方に駆逐される、ということはなく、読み方は多様になっていく。現代においては「作品論」という読み方があるのだから、「裁断批評」的な読み方や「作家論」的な読み方をしてはならない、ということにはならない。

文学研究の意義

文学研究については何となくわかったが、では「文学研究の意義」とは何なのだろう。このテーマはよく取り上げられるが、かなりの確率で

①学生全員が国語で文学や古典を学習する意義
②文学自体の意義
③文学を研究した人にもたらされるメリット
④文学研究自体の意義


この4つが混同されている。
特に④の意味で「文学研究の意義」を問うている人に対して③の回答をしている人が多い気がする。その際たる例が「教養主義」である。「文学研究の意義は、人々の教養を深めることにある」といのはどうもしっくりこない。文学研究が教養のために行われているのであれば、すなわち世の中の文学研究者=教養の伝道師なのであれば、文学部の学部教育は文学部生だけでなく全学部生が受けるべきである。だが、現実はそうなっておらず、文学部の学部教育は主に文学部生に向けて行われている。「教養」ではない「専門性」を帯びているということになる。そもそも「教養」についても、必ずもっていなければいけないものではない(教養がない人も生きていてよいし、自分には教養は不要だと考える人がいてもよい)と個人的には考える。ただそうなると、「教養は特権的なエリートだけが必要性を感じていればよい」という前時代的な考え方に帰結してしまう……。

①については別の投稿で私見を述べているため割愛する。

不逢言哉@note
「エーミールは許さないし兵十は引き金を引く」
https://note.com/absent719/n/n70edb8ea74f7


②については一言で「社会に新たな視点を与える」ということに尽きると思う。
私は大学時代に新感覚派を研究していたが、新感覚派文学が現れた時代は、関東大震災で町並みが一変したり、交通手段が発達して遠方との時間的距離が縮まったり、映画の発明により人間を俯瞰で見る視点が生まれたりした時代である。こうした社会の変化に対応した新たな物の見方が新感覚は文学には現れている。それは文学の意義のひとつだと言えるだろう。

③について、④との混同が多いことは先に述べたが、これは大学という施設が「研究機関」と「教育機関」という、2つの側面をもっているから起こるのではないだろうか。「研究機関」として、学士教育(学部教育)がどの学部も目指す「学習成果」については、文部科学省が「学士力」として定義しているので、ここではこれを示すにとどめる。

文部科学省
「参考資料9 各専攻分野を通じて培う「学士力」学士課程共通の「学習成果」に関する参考指針」
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu10/siryo/attach/1335215.htm


④について。「文学研究」自体の意義は、まずひとつに「作品のもつ価値を見いだす」「作品に新たな価値づけをする」ことにあるだろう。

だが「作品」だけではない。ウェイン・C・ブースは、1961年の著書『フィクションの修辞学』で「信頼できない語り手」という概念を紹介した。そのことで、「語り手の信頼度」という読みの新たな尺度が生まれたと言える。また、1960年代末、コンスタンツ学派のW.イーザーやH.R.ヤウスらは、文学作品の受容者である読者の役割を積極的に評価する「受容理論」を提唱した。

国内に目を向けてみても、片岡良一は、1929年に『現代文学諸相の概観』を著し、近代文学もアカデミズムで論じることができることを示した。また、三好行雄は1967年『作品論の試み』で「作品論」という読み方を提唱した。他にも、小西甚一が「分析批評」を日本に紹介したこと、藤井貞和は、三人称が一人称のような視点で見たり考えたりするありようを「物語人称(四人称)」と定義した(『物語理論講義』2004)ことなど、新たな読みの試みは文学研究から現れている。

研究によって文学の見方が変わる、という事実がイメージしにくい人は下記の記事も読んでみてほしい。

文字精錬研究部@カクヨム
コラム「近代日本文学の概略」
https://kakuyomu.jp/works/1177354054897445416/episodes/1177354054897454098

また、埋もれていた文学作品が、研究者の手によって再評価されることもある。横光利一の評価は、戦後没落したが、再評価の光を与えたのは菅野昭正や前田愛などの研究者である。

逆に、文学研究によって文学が進歩することもある。坪内逍遙の『小説神髄』(1885-1886)が日本の近代文学に与えた影響は言うまでもないだろう。また、横光利一はソシュールの言語理論を踏まえており、自身の作品や論考にもそれが表れている。

文学研究に対しては、よく次の2つの疑問も持ち上がる。

1. 文学という娯楽の考察は趣味とは違うのか(文学研究が職業として成立する理屈)
2. その作品の「読み方」は作者自身に聞けば
 解決するのではないか。


1については先に述べた内容の一部繰り返しになるが、文学研究とはただ好きな作品を研究する仕事ではない。研究する価値があると見なされるものを研究者たちは研究しているはずである。意味のないことを研究するのが文学研究だ、という意見をたまに見るが、そんなことはない。
2についても、必ずしも作者に聞けばわかるというものではない。「ある心の風景」を論じた井上良雄に対し、作者である梶井基次郎は

この人は僕がながい間自覚しようとして自覚出来なかつたことをえき出してはつきりさせてくれた。

(梶井基次郎「北川冬彦宛ての書簡」昭和6年7月30日)

と述べている。

文学は社会に新たな視点をもたらし、文学研究は読者に新たな読みを与え、作者に新たな創造をもたらすと述べたが、これらは「イデオロギー」と親和性が高いということも最後に述べておく。日華事変勃発後の1938年に、内閣情報局は文学者に武漢作戦への従軍を要請。従軍文士の見聞記はメディアに掲載され、戦意高揚に用いられた。他にも、1940年に「国民詩たる俳句によって新体制に協力」する日本俳句作家教会が結成されたり、1942年には「国家の要請するところに従って、国策の周知徹底、宣伝普及に挺身し、以て国策の試行実践に協力する」ことを目的とした社団法人として文学報告会が発足し、日本俳句作家協会は俳句部会として統合された。
文学はイデオロギーを解体することもできるが、イデオロギーを強化することにも使えてしまう点は知っておく必要があるだろう。

以上、文学研究と国語との違いや、文学研究の意義について調べて私見を述べてみた。これを読んだ人は、今後文学研究の話題に触れることになった際、この文章のことも思い出してくれることだろう。そんな時限爆弾みたいな文章になればよいと期待を込めて書いた次第である。

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