2024年の自分の現在地 part.3

2024年の3月28日。会社を休んで1ヶ月と少しが経過した。前回の投稿からそこまで間を空けとる訳やないが、記録として書いてネットの海に漂流させとく。

気分の浮き沈みは落ち着いたものの、周りの人や同期の姿を見たりするとやるせない気持ちになる。自分は自分で他人は他人やが、やはり引っかかって沈んでいくのは自分のこころ。例えるなら碇を海底の奥深くへ垂れ下げる行為そのもの。

考えないようにしようと遮断するも、頭はそれを許さず心拍数は上がる。「前はこんなこと無かったのに…」が続いて深呼吸する。それがたまに起きて辛くなる。

あまり弱音を吐きたくない性格でここまで過ごしてきた。早いもので4月15日の誕生日で26才になる。家庭を築いていく周りと仕事で結果を残していく同期。変化していく街。暖かくなる気温。移りゆく四季。その変化が怖い。時間の経過が早くて今はただ怖い。

本日、久しぶりに赤い公園のアルバム「THE PARK」を聴いた。2020年の4月15日リリース。奇しくも自分の(22才の)誕生日にリリースされた作品。2020年という閉ざされた年にリリースされたこともあり、閉鎖された部屋で鬼のようにリピートした思い入れ深い作品でもある。それを再生した。

すると目の前は2020年の景色に変わった。同時に、自分はあの2020年から何も変わってないと実感した。今は2024年なのに、なぜか2020年から動けてない自分がおる。考え方、好みや心に残った傷。あの年に取り残されとるような気配。立ち止まっとる感。それを感じて切なくなった。
本当に今は2024年なんですか。そんな自問自答。体感的にも2020年やなくても、2022年の春の感じがしてならん。

時間の経過に追いつけてない自分がおる。それを感じてまた切なくなる。追いつきたくて追いつけん。
みんなは2024年を生きとる。やけど、まだ2022年の自分。身体だけ大きくなって年齢だけ26才を迎えようとしとる。このギャップがキツい。

世間のズレ、社会のズレ、自分のズレ。断層のように生じた様々な事象のズレ。そして、親と地元と職場と会社の荒波。
なんでこうなったのか。乗れない波と解消できないズレ。

好きな音がうるさい。今はそっとして。

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