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また会いたいなんて叶わないと思ってた

「もう会わないね」
アルバイト先で、仲間だと思っていた人に、こう言われたことがある。

その人は、とても愛想の良い女性だった。
私と同い年で、美人ではなかったものの、愛嬌のある笑顔が、彼女を輝く存在にした。正社員の男性の中には、まだ配属されて間もないのに、狙っている人もいたくらいだ。
また、人と接することが得意で、接客業の経験もあった。ポジティブな勤務態度が評価されてもいた。

アルバイトの期間が満了し、彼女は別れ際、仲間たち一人ひとりに声をかけていた。
「また会おうね」という社交辞令を、それぞれにかけていた。
私だけ、その言葉はかけてもらえなかった。

「もう会わないね」と言われた記憶が、職を辞した後も、しばらく私の心に引っかかっていた。
Superfly「See You」という曲がある。
あの曲は、当時の私のプレイリストのスタメンだった。「笑顔で またねと言わせて」という歌詞が、私を慰めてくれた。

あれから歳月を経ても、自分が仲間だと思っていた人と別れる時を迎えると、複雑な感情になる。

今年に入ってから、職場で知り合った、一人の女性がいる。
性格はとても繊細で、人と接するのが大の苦手。頑張り屋ではあったが、どことなく、気さくな性格を演じようと、元気を振り絞っているようにも映った。
このたび、彼女の引っ越しに伴い、別れが差し迫っている。

以前私は、シンガーソングライターの優里の「レオ」についての記事を書いたことがある。
あの記事を投稿した後も、何度か「レオ」を聴く機会があった。
だが何度聴こうと、慣れることはない。涙なしには聴けない一曲だと思う。

「レオ」という曲を、その女性は好きだと言った。
リピートして聴けるような軽い歌詞ではないと思うのだが、彼女は好きだと言って、ずっとミュージックビデオを見つめていた。
その振る舞いに、私にとっての優里の「レオ」が、少しだけ認識を変えるきっかけとなった。

絶対泣いてしまうため、それまでは「レオ」のイントロが流れると、急いで耳にイヤホンを突っ込んでいた。
だがそれが、「仲間の一人が好きな曲」に変化したことで、耳を傾けられるようになった(やっぱり泣くけど)。

もし、彼女が旅立つ日、その場に居合わせることができたら。
私は「もう会わないね」なんて、断じて言いたくない。

あれを言われた時。
別れがつらいという感傷的な気持ちが、一瞬で錯覚に変わってしまうようだった。
親しみや希望が、たちまち蒸発するような、悲しい感覚。
関わる人誰にも、味わわせたくない。

秋の風で冷たくなった彼女の手を取って、笑顔で言いたいのだ。
またね。


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