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魔王ホロロギと鼻の孔のデカい勇者

作家が小説を書くにあたって、最初にテーマを決める。
その後、どういう表現をするかを考える。ストーリーやキャラクター、結末などを決めていく。
角田光代さんや辻村深月さんといったプロ作家のインタビューを拝見すると、それぞれ決まった創作のプロセスがあるようだ。

いくつか創作論の本を読んだところ、ドラマが生まれるのは多くの場合、誰かと誰かが対立した時だ。
いや、対立とまでいかなくてもいい。ただ一緒に行動するだけでも、互いに影響し合い、ドラマが生まれる。
人間関係というものは、軋轢も付き物だが、思わず拳をグッと握りしめてしまうようなドラマがあるものだ。

私も、何と何を対立させればよいのだろうと、先日ずっと考えていた。
ファンタジー世界の、勇者と魔王のような図式も考えた。
自分よりも強い相手に抑圧される。それに対してどう抗い、打ち勝つのか、といったストーリーだ。

だけど、どうやってもその魔王という存在が、私自身の闇の部分にしかなりえないことに気が付いた。
闇の部分といっても、世界征服とか破滅とか、そんなスケールの大きいものではない。もっと矮小な感想からだ。

例えば先日、電車の中で。
滑り込んできた若い女の子が、席に着くなり、いきなり化粧を始めた。
そこまでなら、別段気にすることはなかった。バッグから、濃い色のペンシルを取り出す。てっきり眉でも引くのかと思ったら、なんとそれで、鼻の孔のすぐ上を塗り始めた。
私は目を疑った。まさに、鼻の孔を拡張しているかのようで、本当にそんなメイクでいいの? 鼻の孔をでかくしてどうするの? と思った。
それがシェーディングだとわかったのは、指先でぼかし始めた後だった。

見ず知らずの人の前で化粧をすること自体は、現代となってはありふれた光景だ。大して、けしからんとも思わなくなってきた。
だけどその化粧の仕方はないだろう。鼻の孔を大きく描くって、ひょっとこかよ、と胸中で突っ込みを入れる。

どんな美女でも、化粧をする時は無防備になるものだ。いわゆる変顔になる。鼻の下を限界まで伸ばしたり、口をぽかんと開けていたりする。
そういう姿を見せられて、失笑せずにいられる人がいるだろうか。

他人の目をまったく気にしていないから、そういうことができるのだろう。だけど、電車は公共の乗り物だ。しかも不特定多数の人が乗り合わせている。少しは人目を気にしなさい、と叱咤したくなるものだ。

きっとこの時の私のような、ものすごく暇な、旧時代の人間が、えてして魔王となるのだろう。
私はやらないが、例えばクレームを鉄道会社に入れて規制してもらうとか、SNSで毒を吐くとか。むしろ相手に聞こえるように中傷するとか。
そうして、自分が好きではない人を住みにくくして、のさばらないようにしてやろうと行動する。
すると、魔王のできあがりだ。

創作者たる者、数ある創作論の中から、自分に合った創作のプロセスを選び、確立しなければならない。
だけど、その学びの中で、自分が魔王として君臨する時が来ると思うと、ちょっと切なくなった。
日常の何気ない出来事、むしろドン引きするような挿話からも、魔王は生まれるのだ。


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