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『ウルフ・オブ・ウォールストリート』で強欲をアジテートに昇華できるか?

マーゴット・ロビーの美貌やカラダをブラウン管に求める筆者の欲望は、レオナルド・ディカプリオの金欲・性欲・クスリに対する異常な欲望に完敗する。
彼らの欲望のエナジーを、欲とは違う目的で生きる筆者は、それをアジテートとして、まるでドラッグのように、この映画を求める。だが、こんなクズ終われよ、ではなかったにしても、最も感情移入したのは、ディカプリオを追いつめるFBI捜査官だった。  
スコセッシは強欲な男の末路を何度か作品化しているが、改めて晩年にこのような作品を残したのは、どんな動機だったのだろう?そもそもスコセッシはなぜ裏社会を描くか?ファッキン、ファックと四文字言葉が始終飛び交うなか、ときどきそのことを考えたが、あまり明白な答えが見つからなかった。観終わってしばらく経っても、ふむ、どうだろう。過ちを犯し、それがエスカレートするモチーフの話をされるが、こんなイリーガルな要素がフックとして必要なのか、とも思った。たぶんスコセッシにとってこれが話法であり、描きたかったことは、最後に書くが、ジョーダンが体現しているのでは?
大好きなマコノヒーはますます好きになるくらい最高だったが、俺を一番アジテートさせ、その表情の変遷に振り回したのは主役のレオ、その人だった。吠えるときと弱さを見せるときの演じ分けがとても繊細で、惹かれるも憎く、この映画の中心にあるのは、彼のするアジテートとバッドな弱々しさだった。結局マーゴット・ロビーの裸より、彼が演じるジョーダン・ベルフォートの栄枯盛衰を私は娯楽として、真夜中のカクテルとして嗜んでいた。レオ、いつだってあなたはウルフだ。

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