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バカなふりをするバカ

おっす久しぶり!IQ5です。

無知の知。これは、かの高名な哲学者・ソクラテスが打ち出した思想です。皆さんも、この「無知の知」をご存知だと思いますし、もしくは一度くらいは耳にしたことのある言葉だと思います。

「無知の知」とは読んで字の如く、要は自分がバカだと言うことを知ることです。

これはソクラテスが、「ソクラテス以上の知者はいない」と言う神託を受け取ったことから始まります。彼はそれを反証すべく、当時知者賢者とされていた人々、思想家、哲学者、政治家と対話します。その他に、詩家や技術者とも対話を重ねます。無論彼らは皆、当時一流とされていた人々です。

けれどもどうでしょう。彼らは、確かに素晴らしいことや大変美しいことを語りはする。けれども、自身の言葉が何を意味しているか全く理解できていない。そして何より、彼らは自身のことを知者だと信じている。

そこで最古のレスバトラーことソクラテスはこう確信するのです。「自分は何も知らないと言うことを知っている分には、彼らよりも知者である」と。

これが無知の知のあらましです。ソクラテスの話はここまでにして、次は今を生きる私達の話をしましょう。


私達の社会はこの「無知の知」を美徳としています。自分は何でも知っている傲慢さよりも、何も知らないとする謙虚さを良しとする。実際、何でも知っている人間が本当に存在するとは私には思えません。ほとんどの人が「何でも知っている」わけではない以上、自分の無知を認めることの方が非常に正直で真摯な姿勢に思えます(ただ仮に、真の知者がいたとして、その人が「自分は知者だ」と認めることに、特段異議はありません。)。

しかし、心から自分の無知を認めている人間もまた果たしているのでしょうか?先程も述べたように、この社会は謙虚さを美徳としています。社会が、謙虚な人間を理想的人物像として標榜している。故に、ただ私達は規範即ち「人はこうあるべきだ」に表面的に従っているだけではないのでしょうか?何故なら、そうした方が私達にとって得だからです。「あの人は謙虚な人だ」と言う評判を得られるからです。

私は「無知の知」と言う、本来は非常に徳の高い姿勢に対して懐疑を抱いています。多くの人間がその「無知の知」を不誠実な形で実践しているからです。

では、「何でも知っている」と言う傲慢さに回帰することなく、表面的な「無知の知」を退け、そして誠実に生きるためにはどうすればいいのでしょうか。

手掛かりは行動だと私は考えます。例えば、僕はドラムを叩くのが下手くそだ、だからこそ毎日10時間練習をするんだ。僕は日本史について何も知らない、だからこそ毎日、本を読んで勉強しているんだ。

「何でも知っている」と確信しているならば、練習や勉強をする必要はありません。けれども自分をバカや無能だと感じ、かつその人が真摯であれば、徹底的に行動を起こすはずです。もっと賢くなりたい。もっと上手くなりたい。有能になりたい。だから、そのための行動をする。

自分をバカだと言い、かつ行動に示さない人間は、バカであることを良いものとして肯定しているか、もしくは、自分をバカではないと確信しているかのどちらかです。

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