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シンガポール人の中国語について

こんにちは、ACCESS TAIWAN の Tommy です。
弊社は 台湾・香港・シンガポールでリピート通販サービス、
フルフィルメント(運営代行)、3PL (物流代行) を提供しています。
よろしくお願いします

前回は「シンガポール厳しい法律を紹介」を紹介しました。
シンガポール独立後、国の発展のために、外資会社の投資を引きつけるために、厳しめに国民の教育をしました。厳格な法律を定めることも一つの手段です。
もし興味がある方はぜひ後で見てください。

今回紹介するのはシンガポールの中国語についてです。
では雑談から行きます。

雑談

前回の文章に書きましたが、シンガポールは多民族・多宗教の国です。
華僑 74% / マレー人 13% / インド人 9% / その他 4% です。

民族&宗教が多様なので、多文化の休日があります。

  • 華僑の休日

    • Chinese New Year:旧正月

  • インド人の休日

    • Deepavali:インドの旧正月の日

  • 仏教の休日

    • Vesak Day:釈迦の生誕を祝う日

  • キリスト教の休日

    • Good Friday:キリストの受難と死を記念する日

    • Chirstmas Day:キリストの生誕を祝う日

  • イスラム教の休日

    • Hari Raya Puasa:イスラム教徒一か月断食が明けたことを祝う日

    • Hari Raya Haji:イスラム教の祝日で「聖地巡礼祭」または「犠牲祭」

休日は 14 日 あり、台湾よりもずっと多いです。情報元 URL
※台湾の休日は 9 日だけです。😨 情報元 URL
※日本の休日は 17 日、土日を引いたら 13 日です。 情報元 URL
※同じく多民族のマレーシアの休日は 19 日です。情報元 URL
※2023年の実績。

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話がずれちゃいました、
では本題に参ります。
今回のテーマはシンガポールの中国語についてです。
シンガポールの 74% の人は華僑で、学校で中国語を勉強する必要があります。
ではまず中国語そのものの歴史を紹介します。

中国語の歴史

1441年(明)、中国の皇帝の居住地(=政治および文化の中心)は、南京から北京へ移転しました。

その後今まで、中国の首都は北京です。
※南京の前は、洛陽、西安、などが中国の首都でした。

1912年、中華民国が独立後(清を破って作った政府)、中国全国の言葉を統一するために、北京語をベースに普通話(中国語)を作り、それ=北京語が中国の公用語および標準語となりました。
※日本語の標準語が東京方言をベースに作られたのと同じで、意図的に作られた言語です。

各地の方言もあります。
各地域の方言:
 例:広東語(粤語(えつご))、福建語(閩南語(びんなんご))、上海語…などです。
各民族の方言:
 例:客家語(はっかご)、ウイグル語…などです。

日本で例えると、東北方言、大阪弁、関西弁、琉球方言…などです。

17世紀から、広東、福建の人が海外へ出て、台湾、シンガポール、マレーシア、インドネシアなどへ移民しました。この人たちは華僑と呼ばれ、世界各国に中華街を作りました。
当時はまだ標準語(北京語)ができる前なので、各地の方言を新しいところで使いました。

補足:なぜ海外へ行ったのか?
16世紀、明統治の時代は、大航海時代でした。その影響があり、国の指示で鄭和という人が七度、大航海を実施し、マレーシア、南アフリカまで航海したことがありました。
その時、一部の船員が海外に定住して、中国に帰ってきませんでした。この人たちが華僑のはしりです。

その後、明統治の末期、国が安定しておらず、戦争もしていたので、海に近い(そして北京から遠い)広東省、福建省のお金持ちが海外へ流出しました。

清になってから、政治が安定して、経済が発展していき、中国の人口数が急成長しました(1664年:9000万人 → 1805年:3 億人)。
人口が多くなりましたが、仕事機会がそれほど増えてなかったため、上記同様、海に近い(かつ北京から遠く商売の機会が少ない)広東省、福建省の過剰な労働力は海外へ移民しました。

補足の補足:
実は、1842年のアヘン戦争以前は、海へ出ることは法律的に禁止されていました。そのため、夜こっそりすると海に出ることしかできなかったため、すごく危険な行為でした。

移民者数の詳細な統計はありませんが、1930年までに、1000万人の人が海外へ移住したと言われています。

シンガポールの言語歴史

17世紀 ~ シンガポール独立前

上記の通り、17世紀から、広東・福建の人が海外へ出ていきました。

1860年代(イギリス植民時代)の民族構成の統計データによると、
当時のシンガポール人口は 8万人。
それぞれの割合は
華僑 61.9%、マレー人 13.5%、インド人 16.05%、その他 8.5%
※その他の構成はイギリス人、フィリピン人…などでした。
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当時の華僑は出身地の方言(広東語、福建語)がメインの言語です。
でも違う言語ですから、お互いの交流もそこまでできず、同じ言語の人としか交流しませんでした。子供と親は方言で話しますから、子供の母語は方言になります。
当時よく話されていた言葉は

  • 英語(イギリスの植民地ですから)

  • マレー語、タミール語(インド語)

  • 広東語、福建語、潮洲話、客家語、海南語…(華僑の各出身地の方言)

    • 福建語、広東語が多いです。

    • 補足:現在シンガポールや台湾のお年寄りは、福建語や閩南語が通じますが、でもそれぞれ違う言葉が混ざっています。

      • シンガポールの福建語は、マレー語と英語が混ざっています

      • 台湾の閩南語は、日本語と北京語が混ざっています

こちらはシンガポールの福建会館です。
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シンガポール独立後

1963年にシンガポールは独立しました。多民族の言語を統一するために、公用語を英語にしました。

1966年、シンガポールは「二言語教育」を実施しました。英語以外にもう一つの言語を学ぶ必要があります。
もう一つの言語は各民族の母語で、広東語、福建語、マレー語、タミール語を学校でも勉強しました。

補足:
独立後のシンガポール政府(初代首相はリー・クアンユー)は、共産党が大嫌いでした。北京語をしゃべることは共産思想と同じと考え、すごく北京語の勉強を嫌がりました。

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1979年講華語運動 Speak Mandarin Campaign

1979 年から、シンガポール政府は北京語(=華語、Mandarin)を話すことを推進しました。

理由①:華僑の母語は、北京語ではなく中国各地の方言でした。華僑の人にお互いにもっとうまくコミュニケーションできるように、方言をなくして、全部華語を勉強させることをしました。

理由②:シンガポール国の発展、経済の発展のために、国民たちに言語の障害をなくすこと

理由③:当時の中国では、鄧小平が改革開放を行っていました。
改革開放後の中国は、未来のアジアの経済トレンドに大きな影響を与えると考えることができました。そこで、前もって、華語を国民に勉強させることが重要だと考えました。

当時シンガポール政府の言い方:
「華語のほうが経済的に価値があり、民族に関係なくすべての中国人が共感できる価値観と伝統の文化的宝庫が含まれていると考えられるため、華語を話すことはシンガポールの華僑がその伝統を守るのに役立つ」と主張していました。

補足:
でもそもそもシンガポールの華僑は、そんなに中国の伝統はないです。シンガポールで生まれて育ったので、中国に対する感情がそもそもないです。

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政府の政策によって、子供たちは学校で全く知らない華語の勉強を開始しました。
子供の時から母語(広東語、福建語…)を勉強し、学校で第二の外国語「英語」と第三の外国語「華語」を勉強する必要がありました。

※1:シンガポール人が学校で勉強する華語は「簡体字」、拼音(ピンイン。漢字のアルファベットでの入力方法(複数あります))です。
※2:政府の政策により、広東語、福建語の映画・テレビ番組(無料チャンネル)は放送禁止になりました。

シンガポールの政策は、華語を勉強して、方言を少なくすることです。

議会での演説はシンガポール人は英語と華語両方を話せるようにならなければなりません。

リー・クアンユー首相は2005年に Keep My Mandarin Live を出版しました。
彼が数十年にわたって、華語を勉強した記録です。

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シンガポール政府はその後もずっと華語勉強の宣伝をしています。
2005年は「華語はクール」というスローガンがありました。

2009年のスローガン「華語誰怕誰」(華語は怖くない)という宣伝動画もありました。動画内では、世界各国の子供がうまく華語を話しています。

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長年の努力の結果、華僑の家では、英語、華語を話すことがメインになり、方言(広東語、福建語)がどんどん少なくなりました。

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現在の若いシンガポール人は出身地の方言(広東語、福建語)ができないため、祖父母とコミュニケーションをとるときには、父母世代に翻訳を依頼する必要があります。

※ Tommy 補足
台湾も同じです。日本統治時代は、1、標準語の日本語、2、台湾語、3、それぞれの言葉(客家人は客家語、原住民は原住民の言葉)を話していました。第二次世界大戦後、国民党が統治して以来、強制的に華語を勉強するようになりました。
そのために、若い子は台湾語や、客家語・原住民語などのそれぞれの言語ができなくなりました。

僕も同じく、祖父母(母語は台湾語)と話すことはあまりできません。小さい時から聞いているため、聞き取りはできますが、あまり話せません。
97歳の親戚のおばあさんとの対話は日本語を使いますね!おばあさんは日本統治時代に生きていたから、日本語をしゃべれます。

台湾人向けの台湾語(台語と書きます)能力試験もあります。

シンガポール人の中国語レベル

現在シンガポール人の華語(北京語)レベルですが、話す・聞くことができますが、漢字を書く・読むことができない人が多いです。

華僑の人は、学校で強制的に華語を勉強します、学校の入学試験でも一つのテスト項目です。でも大半の人は、一つの学科として試験のために勉強しますが、普段はそんなに使いません。

日本人・台湾人が学校で英語を勉強するのと同じようなものだと思います。
中学校、高校の時はしょうがなく勉強していましたが、社会に出て使う機会がないと、どんどんできなくなって、話せなくなります。

弊社シンガポール社員を例にすると、台湾社員とシンガポール社員のコミュニケーションは中国語でできます。
でも半分の人は華語の読み書きはできません。
メールとかチャットでは英語を使います(でも口頭では華語を使います)。

ある Youtuber がシンガポールの街で漢字テストしました。
半分ぐらいの人が漢字を正しく書けません。
Youtube LINK


シンガポールのテレビ

シンガポールの無料テレビチャンネルは
英語×2、華語×2、マレー語×1、タミール語×1 があります。

シンガポールは自然資源がない、土地がないために、外国の投資を引きつける必要があります。政府は人材育成にすごく力を入れていますから、テレビ番組、ニュースはほぼ教育目的で、面白くないそうです。

でも有料のテレビ局は台湾・香港・中国のテレビ番組を放送しています。シンガポールの番組と違い、台湾のバラエティー番組・ニュース・ドラマはドラマチック、面白い、と評価されており、よく見られています。
中国のバラエティー番組もよく見られてます、特に恋愛系です。(情報元URL)

台湾の Youtuber がシンガポールの街で、
どんな台湾のテレビ番組を見てるかの投票をしました。
Youtuber LINK

台湾のテレビ番組では、「女人我最大」が一番人気です。
女性の関連(化粧・スキンケア…)を紹介する番組です。2003年から台湾・シンガポール・マレーシア・香港で放送開始しました。
弊社のクライアント様がこの番組で広告を出すことがありますが、そのまま各国で流れます。

結論

シンガポール人は、昔は中国語が話せませんでしたが、政策と教育のおかげで中国語ができるようになりました。
また、中国語を通じて、中国や台湾のテレビ番組・Podcast・Youtubeが閲覧されており、文化が共有されています。

弊社は ACCESS AP TAIWAN、台湾・香港・シンガポールでリピート通販システム提供するサービスです。

もし台湾で商品を販売するなら、テストで台湾からシンガポールへの越境販売も面白いと思います。
台湾国内向けの商品ページからシンガポールの消費者からの問い合わせや、間違って注文をしてしまうことがあります。逆の場合もあります。

以上です、最後までに読んでいただき、ありがとうございます。

2023/06/09 木曜日 11:42
TOMMY WU
ACCESS AP TAIWAN オフィス

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