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父・矢崎泰久(ジャーナリスト/元「話の特集」編集長)永眠のお知らせ

私の父・矢崎泰久(ジャーナリスト/元「話の特集」編集長)が急性白血病で2022年12月30日、永眠したことをお知らせいたします。

家庭から遠ざかりワンルームの小さな城で長年、悠々自適に暮らしてましたが大好きな煙草も吸えぬほど衰弱し、2022年3月に緊急入院。驚異の回復力で退院し、高レベルの要介護となりましたが独居と執筆を続け、イベントに登壇するなど精力的に活動しました。同年12月に再び緊急搬送、しばらく入院するも本人の希望で城へ戻り、その10日後に旅立ちました。

病院での筆談が最後の直筆に。「外へ」──自由を愛した父らしい言葉

家庭のプライオリティーが低く、一般的には良き父・良き夫ではありませんでしたが、介護期間の約半年は人生で最も頻繁に会い、初めて父と子の関係になった気がします。その間、私は他人が金を払って聞くのが不思議なくらい父の話にうんざりしてました。くどく、捏造としか思えず。しかし、ものも言えぬようになると無性に淋しく感じました。そして過分に誇張はありましたが、それらの物語は全て父の生きた真の世界であったことを最期を見舞ってくれた人々から知ったのは、ドラマチックな体験でした。

享年89歳。多くの仲間が先に逝きましたが、その都度、追悼関連の依頼や故人のあることないこと言ったり書いたりして収入を得ていたようですから、生涯に亘り友に助けらたと言えそうです。別れ際に母がラジカセで聴かせた中村八大さんのピアノで永さんが歌う「生きるものの歌」を涙ながらに口ずさむ様子は、これ以上ないほど彼の人生の終幕に相応しい場面でした。

“遊びの天才”の異名をもち、人々に慕われ、最期まで決して枯れることのなかった父。それなりに、いい人生だったのではないでしょうか。最後に握った手は強く握り返し、言葉は交わしませんでしたが真っすぐ私を見つめ、その瞳は少年のように澄んでいたのが目に焼き付いています。

葬儀は近親者のみの家族葬で執り行ないます。生前のご厚誼に心より御礼申し上げます。

息子・飛鳥

普通じゃなかったけど、ドラマチックだった。あなたが父親で

※2022年12月31日19時追記
父の死に関し、多数、お問い合わせいただいており恐縮です。以下に必要な情報をまとめます。こちらのnoteに書かれた内容は写真を含め、転載等いかようにご利用いただいて構いません(報告・謝礼も不要です)。ほか、必要な情報がある場合はこちら(X)にメンションください。何とぞ、よろしくお願い申し上げます。

氏名:矢崎泰久(やざき・やすひさ=本名)
生年月日:昭和8年1月30日(89歳)
出生:東京府麹町(現:東京都千代田区)
死亡日時:2022年12月30日午前11時56分
死亡場所:東京都杉並区(自宅)
死因:急性白血病
葬儀日時:2023年1月4日午後13時(近親者のみの家族葬)
喪主:妻・陽子、長男・飛鳥(共同喪主)


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