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親と大事なものが違ってもいいじゃないか 違うにんげんだもの

人はそれぞれ大事なものが違います

親が大事にしているものを、自分も大事と感じるとは限らない

違う人間なんだから当たり前のはず。


だけど、これが正しい、世間的にこれが正解、そういうものは

こうした方がいい、こうしろと言われます。

本当にそうしないとダメなんだろうか



親の正しいが自分にも当てはまるとは限らない

例えば私の母親の場合

彼女にとって一番大事なことは世間様からよく思われること。褒められたいというよりは、批判されないようにビクビクと正解を探っている感じ。だからどんなに理不尽だったとしても、周りの機嫌を損ねてはならない。そしてそれを私にも求めてきた。

だけど私はそれが気持ち悪い

これも突き詰めたらおかしいのだろうけど、彼女は自分の意見がない。だから周りに合わせることは苦痛ではなく、安心安全な大正解なのかもしれない。

だけど私はこだわりがある方、だからこれはとっても苦痛。


世間の常識に素直に従えない

私は世間に合わせるより自分のしたいようにしたい。「こういうもの」というものでも「なんか変じゃない?」と思ったら本当はやりたくない。

好きなようにやってるならいいじゃないか。そうなんだけど心の中では、いつも激しく葛藤しています。みんなと違うことをしたら批判されるんじゃないか、怒られるんじゃないか、いつもビクビクしています。

だったら皆んなに合わせればいいじゃないか、そうなんだけどそれじゃあ気持ち悪い。周りに合わせる自分を許せない、そんな奴が心の中にいます。

自分の道を突っ走れる人、カッコイイなと憧れます。私もそうできたらと思います。だけどそうはできないからビクビクしたり、コソコソしながらやってます。

それでも時々、そんな私を肯定してくれる人が現れます。私にとっては神様です。そんな時は、勇気を出してよかった、と思います。だけどやっぱり怖いです。

いつか、これが私だ、文句あるかってくらいになりたい。


自分の大事を探していく

小さい頃は親の意見は絶対だったりします。だけどそれは、全く“絶対”じゃないし、自分に合わないなら、大人になったんだからやめていい。

そんなことに気づくのに、ずいぶん時間がかかってしまいました。時間がかかった分自分の一部になっていて変えるのも大変です。

自分にとっての大事なことは何か、それがなんなのかわかっていることは大事でしょう。でも私は何が好き、何が大事かよくわかりませんでした。

ただ、今の生き方は嫌だ、それだけはわかっていました。だからここから抜け出す、それだけは、はっきりと決めていました。そしてビビりながら探してきました。


嫌なことをやめて、一つずつこれは気持ちいいな、というものを知っていく。noteを始めたのも自分を知りたかったからです。


まだまだ、探している途中です。先を見ると、ちっとも進んだ気がしません。でも後ろを向くと、前よりは少しわかってきた事も増えてきました。少しずつだけどちゃんと進んでいる。

相当マイナスからの出発だったので、理想はまだまだ遠いですけどね。




しかし、母親の家庭での君臨ぶりってなんなんでしょうね。私の周りにも、自分帝国を作っていて面白いな、って思う人がいます。自分もそうですけど。

「我こそがルールブック」みたいな顔して家族を従わせているけど、側から見れば「それ、あなたの考えってだけでしょ」ってことあります。怖いですねー(自戒をこめて)

そして素直な良い子ほど、大人になっても必死にそれに従い続けたり、気づかないけど親の価値観で物を考えていたり。

それに違和感ないのならいいんですよ。親と価値観一緒ならそりゃあ幸せだと思います。だけど私のように、全く違う場合は、罪悪感なんか持たずに違う道を歩けばいいんだと思います。

だって違う人間だもん。

それも怖くてなかなかできないんだけどね。


自分の道を応援しています。

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