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言葉と想いの間に、もう一つ、何かあればいいのに①

「夏祭り、削除、ってなっているね。もう復活しないのね。みんなで盆踊りしたかったなぁ」

数日前、同じこども園のママ友からそんなLINEが来て、私の心はざわついた。

私は、PTA書記の最後の仕事である議案書の作成、配布が済み、やれやれしていたのだが、友人はその議案書を読んで、そんなLINEをくれたようだった。

こども園では、毎年、PTA会員の中から夏祭り委員を数名募って、夏の土曜日の夕方、園庭で盛大な夏祭りを開催していた。

それがコロナ禍によって、3年間、夏祭り委員は募らず、先生たちだけで、出店スタイルで、わなげや、ヨーヨー釣りなどの「夏祭りごっこ」を開催してくれていた。

今春から、なにかと以前の形式に戻していこうという動きが園でも見られていたが、夏祭りに関しては、もう当面このままの「夏祭りごっこ」形式でいこうと思っている、という意向を園長先生から聞いていた。

そのため、夏祭りに関する規定、組織図などを、議案書からごっそり削除し、それに伴う説明文書も作成した。

本音を言うと、議案書の規定を変更するのは面倒くさいので、削除せず、規定も変えずに、今後も議案書に「今年も夏祭りは形式を変更しての開催のため、夏祭り委員は募りません」という注釈を毎年載せ続けるのもアリだった。

ただ、書記の仕事量が思いのほか多く、今後の役員さんの労力を減らしたい一心で、いわば「議案書の文の断捨離」に着手したのだった。

2年間書記を務めた意地もあったと思う。

そして、ほぼ誰もやりたがらないPTA役員。
たまに、いい経験になるから、と立候補する前向きな人もいるが、1年に1人、いればいい方だ。

そんな感じで、次年度の役員決めの時には、煙たがられる雰囲気もあって、他人の好意的じゃない感情に敏感な私は気が滅入ったし、役員の中にも当事者意識がなく、ただ、黙って時が過ぎるのを待っているような人もいた。その人の悪口を言うメンバーもいた。

なんのためのPTAなんだ。もういっそ、PTAという組織をなくすか、極力仕事を減らして次の方にお渡ししないとダメだな、という思いがあった。

そこに来て、友人のLINEである。

私は正直、
「それ、私に言う?期待してるだけの受け身の人はいいね。運営側に回ってみなよ」と思ってしまった。
思いがけず、攻撃的な感情が自分のなかに生まれていた。

もちろん、友人は、私の想いや気苦労を知る由もないし、ただ書面を変更しただけの私に対して文句を言ってるわけでもない、ということは頭では理解できる。

なのに、自分が責められているような、気持ちをわかってもらえないような気がして、やりきれなさを感じた。

ただ、最近の私は「感情と事実を分ける」ことを頑張って意識しているので、この友人とは、その翌日、ばったり会っても何も感じず、普通に話せた。ここにちょっと自分の成長を感じている。以前の私なら、疎遠にしていたかもしれない。

友人は、だた、「そうだね、夏祭りなくなるの寂しいよね」と私にそう言ってもらいたかっただけだろうと思う。PTA作業抜きしたら、私がそう思っていてもおかしくないんだ。
でも、こんなことさえ、数日経って冷静になった今、やっと思えることだった。

言葉の裏に隠れている想いがお互い見えなくて、コミュニケーションがうまくいかないことがある。
だから相手を思いやる気持ちや、想像力が大事なんだろうけど、誰もが同じように持てるものでもないし、正解もない。

言葉と、想いの間に、互いに可視化できる映像でもあればいいのにな。
それを見れば、一目瞭然。選ぶ言葉もおのずと決まる、みたいな。

面白いことに、これと全く逆の立場の体験を数日前にしたのだが、長くなるので、明日書きたいと思う。


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