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「スキ」についてここまで考えたことはないかもしれない話。

昨日、自分の記事でスキ数の比較をしたという考察記事を書いた。

読んでくださる方にとって、自分事と捉えにくい内容の記事は、スキ数は下がるだろうと体感して気づいた話だ。

しかし、昨日書いている途中、ふと違和感を感じ始めていた。

記事を書くときの意気込みとして、以下の2種類がある気がしたのだ。

A「この感覚をわかってくれる人だけが、わかってくれたら嬉しい」

B「1人でも多く、この思いを知って共感してもらえたら嬉しい」

AとBの相対する感情があって、無理にAをひっこめて、Bに寄せることはないのかな、と思った。

どうしてそのような考えに至ったかというと
「独りよがりなことを書いてしまったなぁ」と思った記事にこそ、
私にとって理解者だと思う方がコメントをくださっている気がしたからだ。

それが、私にnoteを継続する大きな原動力になっている気がしている。
自己理解、自己受容、自己肯定に繋がっている。

ただ、スキ数は発信に関しての一つの目安となるし、
決して「数は気にしない」と言いたいのではない。

だけど、数を気にする記事と、気にしない記事、どちらを書いてもいいのかな、なんてことを思ったのだった。

ビジネスだろうと、自由な表現だろうと、
最終的な理想形は、

1人でも多く、この思いを知って共感してほしいけど、
全員がわかってくれるわけはないから、分かってくれる人だけ受け取って!

という内容なのかもしれない。
そういう思いで書いているんだろうなと伝わってくる記事を読むと、ぐさっと刺さる気がするのだ。


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