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幸せの設定レベルが低いんです。

25歳から33歳まで、8年間過ごした東京時代、同じ営業部で可愛がってくれていた(?)先輩が、昨年の11月に亡くなった。

享年60歳だった。そんなに年上とは知らなかった。色が白くて、綺麗な人だった。

(?)としたのは、
私自身は、可愛がってもらったように記憶はしているのだが、正直にいうと少しだけ意地悪なところがあり、

「お土産1個飛ばしの刑」
「わざとらしくびっくりされるの刑」
「聞こえないふりされるの刑」

を彼女からされたという「被害者たち」が、そのネタを酒の肴に盛り上がるような、そんな場面に何度も居合わせたこともあり、そのせいで、自信を持って「可愛がってもらった」と言えないのだった。

とは言え、私自身は意地悪された覚えはなく、彼女からは当時のあだ名「ポニョ」と呼ばれながら、時々ランチに一緒に行くような仲で、少しばかりの警戒心を抱きつつも、楽しい時間を過ごした思い出がある。

互いに中国留学を経験していることも、距離を縮める要素となった。アフターファイブに、池袋駅北口のディープな中国料理屋で盛り上がった夜もあった。

休日に、私の住む方南町の木造アパートに呼んで水餃子を振る舞ったこともあるし、彼女の住む白金のマンションに遊びに行ったこともある。

お邪魔した際、
ポニョ、良かったらこれ要らない?
と言われて渡されたバッグは、
明らかにCOACHの海賊品で、Cの字が支離滅裂に並び、
「えっ、これ、なんの視力検査ですか?!」とボケたら、
「わざとらしくびっくりされるの刑」に遭った。笑

彼女は生涯独身だったのだけれど、
素敵な趣味があって、それに邁進し、途中から仕事そっちのけで夢中になっていた姿も強く印象に残っている。

私は退職後も、Facebookで彼女の趣味に関する投稿を目にするたびに、美しいなぁ、楽しそうだなぁと、「超いいね」を押していた。
彼女も時折、お母さん業頑張ってね、と励ましのメッセージを送ってくれた。

わがままで、人に嫌な思いをさせちゃうところもある人だったかもしれない。

だけど訃報を聞いたとき、
「好きなことをやり切った」
「誰にも遠慮せずに、楽しい人生だった」と幸せな眠りにつくような最期であったことを祈った。

退職してまだ半年しか経っておらず、これから楽しみがいっぱいあったはずだった。

そんな彼女が、私の顔を見ながら、よく言っていたセリフを思い出す。

「ポニョ、あなたってなんでそんなに幸せそうなの」

満面の笑みでそう言い、ともすれば嫌味だったかもしれない。
私は毎回ふざけて、
「私って幸せの設定レベルが低いんですよね。あー低くて良かった!」
と言うと、彼女は「それそれ」と言わんばかりに天を仰いで笑った。お約束のようなやりとりだった。

その会話を思い出すと、
いや、でも幸せってほんと、そんなもんなんだよな、と妙に温かい気持ちになる。

あのクセの強い先輩が、もうこの世にいないなんて。
「自分のやりたいこと、誰にも遠慮しちゃダメよ、ポニョ」というメッセージを彼女から受け取った気がしている。

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