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僕が25年、続けた脱ステを辞めた理由

僕は幼い頃からアトピーだった。保育園の頃の写真を見ると口元が紅く切れていたりする。
アトピーと言う認識はあったがそごまで辛いと言う感覚はなかった。
アトピーに良い病院があると聞けば遠くても母は連れていってくれた。文句も言わずに治療費もたくさんかけてくれた。今思うと父と母には感謝しかないと思う。

ヨークルトキノコ、アロエ、漢方、シジウム、24時間風呂、水治療、紫蘇、等々。

アトピーがあるなら試したことがある方も多いのではないだろうか。

僕が11歳の時に母はアトピーにステロイドは危険と言う情報を知り僕に脱ステをさせた。

脱ステとはステロイドの使用を辞めて自然の力でアトピーを治そうと言う考え方である。

当時の事は思い出せないけど母、曰く

「最強ランクのステロイドを使っても炎症が消えなくなったから脱ステを決意した」

とのことだった。

僕は民間の治療で脱ステをした。酸性水を身体にふきつけて消毒。アルカリイオン水を1日体重の十分の一飲む。
人間の体の9割はお水だ。だから綺麗なお水を飲めば体も綺麗になると言う考えのもとたくさんアルカリイオン水を飲んだ。
ちなみに浄水器はうん十万した。

今までステロイドで抑えていた炎症がステロイドを辞めた事により一気に爆発した。俗に言うリバウンドと言うやつだ。
全身から浸出液が出た。それが衣服とくっつく不快感、それを剥がす時の皮膚の痛みは凄まじかった。
アトピーは痒いだけと思われがちだが痛みも伴う。
脚のアトピーが悪化すれば歩行が困難な程な痛みが生じる。
手のアトピーが悪化したら物を掴むこともできなくなる。
手から出る血や浸出液で触れるものを汚してしまう。
見た目もゾンビみたいになった。
そんな身体で半年位、生活したら不思議とアトピーは良くなった。
やはりステロイドなんて必要ない。薬を塗るのを辞めただけでこんなにも悪化するなんて危険な薬だと言う認識が生まれた。
その後、皮膚科知らずで大学4年までは過ごせた。
僕には教員になりたいと言う夢があった。
そのために教育実習へ行った。そこでのストレスが凄まじくまたアトピーが復活した。
何とか教員実習は乗りきったがアトピーはひどいことになり脱ステで有名な近畿中央病院に入院する事になった。
そこでは脱ステだけではなく脱保湿、さらに水分制限を学んだ。
入院中はアトピーの仲間もたくさんできた。ストレスもなく綺麗な環境の病院。アトピーはめきめき良くなった。
そして退院することに。退院後の生活のアドバイスで恐ろしい事を言われる

「退院後に必ず悪化します」

本当に怖かった。何でそんなこと言うんだろうと思った。
そして本当に退院後に悪化した。

良くなったり悪くなったりを繰り返してだんだん強い肌になることも教えてもらっていた。

だから時間が立てば必ず良くなると信じて脱ステを続けた。

脱ステを続ける中でメンタルも強くなり少しの悪化では何とも思わなくなった。

たまに風邪を引いて内科に行くと

「アトピーひどすぎる。ちゃんと治療してるの?」

なんて言われることが多かった。強靭なメンタルを持っているのでこんくらいのアトピーでひどすぎるとかなんもわかってないなーと思うようになっていた。

良く言えばアトピーである自分を受け入れらるようになっていた。

体から浸出液が出ていても普通。包帯を巻けば大丈夫。
脚からの浸出液もステテコを履けばズボンが汚れないし大丈夫。

ステロイドは悪だ。絶対にダメだ。ステロイドを使ってすべすべの肌の人はいつか効かなくなってどうしようもなくなる。その点、自分は脱ステに成功した。だから大丈夫。とずっと思っていた。

強靭なメンタルを手に入れても辛い悪化の波は何度もきた。

それでも耐えていた。死にたいなと思いながらも耐えていた。

耐えられないくらいの悪化が来ると思うことがあった。

本当に最強ランクのステロイドでも炎症が落ち着かなくなったのか?

幼い頃の記憶だから何も思い出せない。

そこで当時の記録がないかと思い、自分をステロイド漬けにしたと母が言っていた皮膚科に受診をすることにした。

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