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そこに知覚されるものが虚偽であるとわかるとき、そこに見えてくるもの


「ここ」が自分の居る場所

私たちは何のためにコース(奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいるのか?

というなら、もちろん、「神のもとに帰る」「わが家に帰る」ことが目的なわけです。

そんな私たちが覚えておかなければならないのは、ここじゃないどこかにわが家(天国/神の国)があるのではないということです。

本当は、ここがわが家(天国/神の国)なのです。

もちろん、この世界(宇宙空間/時空間)は幻想(虚偽)であり、この世界がわが家(天国/神の国)なのではありません。

この世界は、知覚が作り出した幻想世界です。

投影が知覚を作り出すのです。

つまり、この世界は、無、です。

そう、もし幻想を見ないならば、ここが天国だと分かってくるということです。

私たちはこの世界を看過して見ることができるようになるとき、ここがすでにわが家(天国/神の国)だと思い出されていくわけです。

そして、そのために私たちはコースを学び、実践しているのだということを覚えておきましょう。


自分の居場所がないと感じてしまう理由

上記で述べた通り、私たちは「わが家(天国/神の国)から離れた」という幻想の夢の経験をし続けているということです。

夢の中に埋没してしまっている私たちにとって、「この世界には自分の居場所がない」と感じるのは当然のことだといえます。

この世界に自分の居場所を探しても、どこに行っても自分の居場所が見つかることがないわけです。

そもそも本当は、自分はこの世界の中には居ないのですから、この世界に自分の居場所があるわけがありません。

自分の居場所(自分が帰る場所)を探しているとしたなら、それは、ただ自分は誰なのか?を見失っているだけなのだと言うことができます。

言い換えるなら、

自分とは誰であるか?

それが思い出されてくるなら、ここが天国だったと思い出されていくことになります。

「ここ」が自分の居る場所であり、「ここ」がわが家だったと分かってくるということです。

あなたは神の内なるわが家にいながらも、流刑の身となった夢を見ているのだが、実相に目覚めることはまったく可能である。(T-10.Ⅰ.2:1)

奇跡講座/中央アート出版社

私たちはこの世界の中で何をしているのか?

というなら、「ここは天国ではない」という妄想を私たちはただ信じ続けているだけです。

そして、妄想で作り出したこの宇宙物理空間をその証拠にしているだけです。

つまり、「信じていること」が問題なだけです。

でも、それは単なる誤りにしかすぎないということも忘れてはなりません。

天国ではない妄想の世界を、幻覚を、自分で作り出して、自分で信じているだけということです。

その誤りを認識していくならば、その誤りを訂正していくことができます。

私たちがしていくのは、ただそれだけです。

それが誤りだったいうことを認識していくならば、私たちはこの幻想世界(幻覚)を見ながらも、それらを平安と共に見ることができます。

それが「赦し」「奇跡」と呼ばれているものです。

そして、そこから見えている知覚を「聖霊のヴィジョン」「赦しのまなざし」「愛のまなざし」などと、コースでは呼んでいるわけです。

 奇跡はただ惨状を見つめ、そこに見えるものが虚偽であると、心に思い出させるだけである。(W-.pII.13.1:3)

奇跡講座/中央アート出版社

そこに見えているものがすべて偽りだと、つまり、すべてが嘘だったと分かるならば、そこにはいったい何がみえてくるのでしょう?

そこに在るものとはいったい何なのでしょう?

コース学習者である私たちが目指しているのは、ソレを思い出すことなのだと言うことができます。

ソレは、いまここに臨在しています。

ソレを、「愛」とか、「神の平安」と呼んだりします。

私たちが帰る場所は、どこかにあるのではありません。

この歩みは、ここじゃないどこかへと向かうというものではないということです。

ソレは、ここにあることをただ思い出すだけです。

ソレは、「いま」という「ここ」にあります。

本当は、すでに天国の一体性(ワンネス)の中に居るのだということです。

そうでありながら、そうではない幻覚(夢/幻想)を見て、そして信じているだけなのです。

コース(ACIM/奇跡講座/奇跡のコース)は、そのことを私たちに教えてくれています。

ただし、私たちは、この今も、目の前に見えている肉眼の幻想世界を信じています。

それらは幻覚にすぎないにもかかわらず、私たちはそれらを重要である、意味がある、価値がある、と本気で思っています。

自分が誰なのか?どこにいるのか?何をしているのか?

私たちはそのことをすっかり忘れています。

だからこそ、私たちはコースの学びと実践を通して、その真理を学んで、思い出そうとしているということです。


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