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20歳の国『長い正月』に、ありし日の正月を重ねて

新年初観劇は、今年5月末での閉館が決定している、こまばアゴラ劇場で。20歳の国『長い正月』を観劇してきた。

舞台は東京・多摩村。神社の家系の田崎家と、隣の敷地に暮らし小さな酒屋を営む木村家。木村家の団欒を舞台に、両家の人々が交わる、大正から令和へつながる100年の暮らしの物語。何か特別な出来事はないけれど、日常を慈しむ人々の在り方が描かれていた。

描かれるのはずっと、大晦日から元旦、正月のことだけど、家族の人生に何かが起こると瞬く間に時が経ち、シームレスに場面転換が起きる。団欒を共に囲んでいた家族が亡くなり、新たに生まれ、嫁いだり、嫁いできたり。木村家の正月はいつも悲喜交々あり賑やかだけど、時代に合わせて家族や正月の在り方は変遷していく。

かつて私の(祖父母の)家の正月も、家族や親戚、近所の人々であふれていた。女たちは大きな台所でせっせと料理と酒を作っては運び、男たちは畳敷の大広間で新年を祝い続けていた。私を含む子供たちが挨拶してまわると、名前も知らない大人たちが上機嫌でポチ袋に入ったお年玉をくれた。大人たちが帰ると、酔って眠った男たちを横目に、女子供はすき焼きを作って食べた。

『長い正月』で大正、昭和、平成と描かれるのも、そんな正月。しかし時代の変化と共に、団欒を共にする家族は減っていく。そんな現実と、誰かの言葉で、自分の人生を振り返る。家族として暮らす在り方から、個人の在り方まで考えを巡らしていく。

ずっと同じ家の話で、舞台美術はずっとほぼ同じだけれど、演技によって時代背景がありありと浮かんでくる。レコードをかけて踊る家族、マイクをつないだジュークボックス、家の固定電話にかけてくる恋仲の相手、急に電源を切られてセーブデータが消えるテレビゲーム、携帯電話のアンテナを伸ばして電波を探す仕草。

同じ衣装でたびたび登場しても、台詞まわしや姿勢、動きの速度などで歳を重ねたことがよくわかる。子であった者が結婚し、子が生まれ、親になり、正月の在り方や過ごし方が変化していく。変わったこと、変わらないこと、過ぎ去ったはずなのに、重なること。

そこにあるのは、田崎家と木村家の正月だけ。それでも、多くの人が懐かしんだり、ハッとしたりする瞬間がある。そうしてありし日の正月を重ねて、新たな年を考える。そんな作品だった。私自身もありし日の正月を重ねて、多くの場面で涙した。

正月というものの輪郭をこんなにもはっきりと捉えた年始が、今までにあっただろうか。時代と共に失われつつある家族の正月の姿を、存分に堪能できた。

劇場チケットはすでに全日程完売(一部当日券あり)しているようですが、配信チケットは1月21日(日)まで購入・視聴できるようです。ぜひ。


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