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2023年末に寄せて

2023年もあと10日あまり。
近況のご報告と年末のご挨拶をこちらにて…

昨年2022年7月に突然脳出血(左視床出血)を発症し、7ヶ月半の入院を経て今年2023年2月に退院しました。

退院直後の記事はこちら↓

現在は発症して1年5ヶ月、退院して10ヶ月が経過しました。
退院はしたものの右半身麻痺という後遺症が残り、引き続きリハビリ生活を続けております。

日常生活は、身の回りのことやほとんどの家事はひとりでもできるようになりました。子どもたちのご飯やお弁当を作ったり、掃除洗濯をしたり。以前と変わらない作業量をこなしています。

変わったのは作業スピード。やはり右手足の自由が効かない分、以前の何倍もの時間がかかります。それでも片手メインで(右は補助手として)ここまでできるようになった自分を褒めてあげたい笑

ただし並行していくつものことをこなすこともできなくなりました。前はすごく得意だったのに…。たとえば料理も1品ずつしか作れません。身体の不自由さ以前に脳が追いつかず、段取り良く作業をこなすことができなくなりました。

作業スピードは変わっても量は変わらない。それが家事。
まあ家事はもともと好きなので、リハビリと思ってちょいちょい手抜きしつつ何とか日々がんばっています。

劇的な改善期を過ぎて

倒れた直後はピクリともせず、まったく動かなかった手足。車椅子を押してもらい、手を洗うのも自分の右手を自分の左手で持ち上げるような状態。

右側にぶら〜んとぶら下がる物体。自分の手に間違いないんだけど、全く感覚のない物体を左手で触りながら、とっても不思議な気持ちでした。足も同じく。

悲観的な気持ちはなく、不謹慎ですが…面白〜い、みたいな笑

いやもちろん笑い事じゃないんだけど、脳がバグってたのかもね。なんとかなるって思ってたから。
あの時に比べたら、そりゃ劇的な改善をしたと思います。

そこから回復期の半年間を過ぎ、今は維持期という段階なので劇的な改善は見込めず…。正直、小康状態です。日々行ったり来たり、三歩進んで二歩下がる。まあ僅かずつでも、一歩は進んでいるのかなぁ〜といった具合。

ちなみに右利きだったわたしは、右麻痺になり利き手の自由が効かないので、何をするにもいちいち大変。未だ書字や運転は出来ない状態ですし、パソコンのタイピングやスマホ操作などもほぼ左手のみになりました。

ただ料理の時だけは右手で包丁を持ち、左手で押さえています。ピーラーや調理鋏、フードプロセッサーなど、便利グッズにも助けてもらいますが、機会が減ったとはいえ包丁を使えるのはうれしいもの。
去年の今頃、入院中に担当OTさんとネギを切る練習をしたおかげです。Yさんありがとう!

また杖と装具を使って歩けるようになったので、週に数回は電車に乗ってリハビリ病院や鍼灸院にも通っています。健常時は座ったことのない優先席に座ることもすっかり慣れました。これも入院中にトレーニングしてくれたPTのIさんのおかげです。本当にありがとう!

その時の様子はこちら↓

壊れたのは手足じゃない「脳」なんだ

見た目のわかりやすさから、手足の不自由さばかりフューチャーされますが、脳(神経)が損傷しているので、単に怪我して手足が使えないわけではないのも大変厄介な所以です。

手足に限らず右側半分、頭のてっぺんから足の先まで。麻痺状態は常にわたしを支配し、困らせます。

運動麻痺だけでなく、深部感覚にダメージがあり、目視しないと右半身の位置が掴めないといった重度の「感覚麻痺」があります。

感覚麻痺についてはこちら↓

麻痺による動きにくさに加えて、ふらつきがあるため歩行に関しては、杖と装具を付けて歩いてますが、歩きは常に不安定です。

いつも「転ぶんじゃないか…」という不安と闘いながら歩いているので、一歩一歩が「命懸け」です笑(いや笑い事じゃなくホントに…

手足の不自由さもありますが、脳血管障害特有の疲労「易疲労性」や眩暈、右半身のビリビリとした痺れ、視床痛というヒリヒリした火傷のような痛み、また高次脳機能障害という目に見えない障害もあります。

この高次脳機能障害という後遺症により、以前は何よりも得意だった「話す」こと、特に思考のアウトプットが苦手になりました。スムーズに言いたい言葉が出てこないし、喋ることができず悔しい思いもしています。

「考える→口に出す」の間に何重ものモヤモヤした障害物がある感じ。
頭の中には伝えたいことがあっても、単語が出てこない。表現ができない。

失語まではいかないけれど、以前に比べたらスムーズな会話は困難になり、対人コミュニケーションが苦手になりました。

リハビリについて

一度壊死した脳細胞が元に戻ることはないので、壊死した細胞の代わりに周りにある細胞を使えるようにトレーニングするのがリハビリです。

機能改善する保証はないのですが、やらなければ確実に後退する。つまり最悪寝たきりに。だからリハビリを続ける。動かし続けるしかない。

これが脳血管障害の厳しい現実ですが、正しい動作の反復を毎日地道に繰り返し、新しい回路が学習すると信じてリハビリをしています。

新しい回路の構築。これには気の遠くなるような時間が必要で、辛抱強さと忍耐力も要求されます。

脳卒中経験者はたくさんいますが、誰一人として同じ症状、同じ後遺症の人はいません。脳梗塞を何度も繰り返してもほとんど麻痺が残らない人もいれば、一度の脳出血で重度の麻痺を負う人もいます。

発症時に重篤な症状が出たとしても、予後が良い場合は大きな後遺症が残らない場合もあり、発症時の状態もまた後遺症の重症度に比例するわけではありません。

同じ症状、同じ後遺症の人がいないということは、何をどれだけやればどのくらい回復するという指針がないということ。

確かに似たような後遺症の人はいるし、事例もいっぱいあるけど、同じリハビリをこなしても同じ回復度合いを望めるわけではありません。

自分の納得する「回復」に辿り着くには、何年もかかると思います。
どこまでやるか?はその人次第。諦めるのではなく、障害を受け入れつつも、どこかで折り合いをつけながら、皆それぞれの環境でがんばっているんだなーと。

SNSで繋がっている脳卒中経験者仲間を見ていてそう思うし、励まされた1年でした。だからわたしも諦めることなく、今はまだ足掻いていたいので、引き続きリハビリがんばります!

咲かない時は根を伸ばせ

長くなりましたが、現状はザッとこんな感じになります。

心配してくれる方、気にかけてくださる方もいて、でもなかなか良いご報告もできないまま時間だけが過ぎていき心苦しいです。

退院してから8か月。いろんな思いはありますが、そんな中変わらず接してくれる子どもたちや両親、家族や近しい友人、パートナーの存在は大きな支えになりました。

脳卒中で倒れ、片麻痺という後遺症か残りましたが、わたしという人間は変わらない。わたしはわたしのままでいい。

そう思えるのは、ずっと変わらずわたしを大切にしてくれる人たちのおかげです。本当にありがとう。


障害者になったからと言って下を向くことなく、変わらず前を向いて歩いていこうと思います。

『咲かない時は根を伸ばせ』

シドニーオリンピックマラソン金メダリストの高橋尚子さんが、高校時代の恩師から贈られたた言葉。

元は三洋電機元副社長 後藤清一氏の「何も咲かない寒い日は下へ下へと根を伸ばせ。 やがて大きな花が咲く。」からきているらしいですが、最近のお気に入りの言葉です。

いつか大輪の花を咲かせることができますように。リハビリがんばります。

最後までお読みいただきありがとうございました。


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