見出し画像

人生の選択の後悔と諦念と正解。

この土日月の2泊3日で友達と旅行に行った。
いわゆる職場の同期でみんな別の局で働いているので、月曜日に一斉に有給を取っても全然よい。
といっても、散々子の都合または自分の体調不良で休みがちな私が前もって休むのは心情的にはどうかなとは思うが、ようやく自分のための休みだった。割と同様の理由で休んでも家事で半日潰れて大したことはできないからである。

私は彼女たちより4歳も上だけど全然同い年と同じ扱いをしてくれる。大学生時代の友人が1人もいないので気の合う人間関係のなか普通に受け入れてもらえていることのありがたさ。
もう付き合いとしては7年目ですね。職場は仕事だけでなく友人関係までも提供してくれて学校なんかよりよっぽどいい。

しかし単純に、この職場で仲良くしてくれてる人たちって大体国公立だったり、自分の大学よりいい偏差値の人なので、ちゃんと受験の時に見極めていれば居場所のある学校生活だったんだろうなあ。

そもそもなんであの私立文系であの志望でいたのかを思い出すと、別に行きたくもない県立高校の受験に失敗して滑り止めの自称進学校の私立で、私文の大学の合格者を増やすためだけの雑兵にされ、早稲田に行くことを目指すのが風潮なだけだったからな気がする。ちなみに同期で早稲田の人はみんな性格が合わない上、不愉快な目に遭ったので落ちてよかったと思えたのはよかったが、志望先を死ぬほど間違えている。周りの意見に振り回されすぎ。
いまだに現役じゃ受からなかった浪人で受かった受験結果を高校の手柄として進学先一覧に載せられたの腹が立つ。なんも高校なんか役立っていないのに。

学校が合わない…人間関係が上手くいかない…行きたくない…親も無理というストレスしかない時に自分の進路を決めるのはちゃんとした自己対話が出来ないので、本当に時間と機会の無駄をしたなあと思う。
偏差値だけで進路を考えるものじゃないんですよね。自分にはどういうものが合ってるのか、どういう人と付き合いたいのか、とか、そういうのを経験から考えるべきなんだけど、子どもの頃って人の中に所属するという意識が希薄だったし(転校して傷ついたというのがでかいけど)、目先の娯楽(ゲームやアニメやインターネット)を消費して現実をやりすごして、精神を安定させようとしていたから、社会の中での自分を理解することができなかったんでしょうね。

20歳から25歳まで何も成し遂げられなくて社会に拒絶されてきて、26歳で公務員試験受かって、27歳から現在までずっと継続して仕事やれていて、その間に結婚、妊娠、出産と女性としてのキャリアも変わり、異動も2回経験した。何もならなかった6年と同じ6年間が過ぎたけど、本当に成長したなあ。
特に育児しながら仕事ははっきりいってまともに1ヶ月仕事に出れていないので、立派な組織でやらせてもらえていなければ仕事を続けられていない。

成長できなかった頃は周りにあーだこーだと自分の駄目なところを偉そうに言われることもあったし、特に就職関係ではお前には専門性もなければ向いてもいないと、とりあえず出ただけの教育学学士はなんも意味はなかったことから、もう子ども関係には関わらないとした。
まあ、あの言ってきた奴らより今の私の方が社会的信用度も年収も高くなるんでもう鉢合わせたとしても勝った気持ちになれる。

まあそもそもNPO法人とか人数少ない法人みたいな自意識の高い小規模組織に就活したこと自体が失敗だったわけだけど…。そんなところが未経験者を育てることなどできない。最初から経験ない人はバイトかボランティアでよろしくというところばかりだった。そして人数が少ない組織ほど同化しなければ存在できないので、人に合わすことが難しかった自分にはさらに向いてない。

しかし、そもそもそんなに手先が器用でもなければ、人間関係も悩みがちなのが教育関係とかいうの自体が間違っていた。社会問題としての子どもとか、そういうのを考えるために社会学部とか法学部とか行く方がよっぽど似合っていたはず。
大学は教育学科のくせに、教授が最初のオリエンテーションで「最近は便所飯というのが話題になっているようですが、そういうことにならないように友達を今作りましょう」とか言ったり(いや、それが何故起きるのかとか、してしまう人にどのような対処が出来るかと考えるべきでは…?)、
教職の授業で発表した女が「いじめは無視すれば終わるので何もしないのがいいと思います」とかいう気が狂いそうな発表してたりとか、ゼミも会議室利用料とかいう名目で後で返すとか言われても金取られたら、実はそれは参加してない飲み会に使われたので返還されないとかいう詐欺をされたりなどゴミみたいな思い出ばかりで辞めればよかった。

正直、もう高校も通信制行ってた方が受験もいいところ行けただろうし、大学辞めてもこれも通信制で卒業なり公務員試験合格する程度の学力はつけられたと思う。
国家公務員試験受かったのも半年の期間の15万の通信制予備校だったけど、高校や大学やその他の習い事よりよっぽど経済的なのに結果が出ている。
自分の子が進路を決める頃には、決して押し付けがましくもならん程度にはこれが向いてそうなのでは?というアドバイスができる程度には客観的に対話できる程度の関係ではいたい。そういう存在が全然いなかったな。結論決めるのは本人だけど、明らかに向いてない方向に行ってる時に止めてくれる存在が欲しかった。

今の民事法務行政にかかる専門性なんてものはないし、公務員試験ですら法律の勉強してなかったのに、仕事として継続できているし、この前の3ヶ月の研修でも新採時より大幅に試験の点数を上げて平均点以上を取ることができた。科目によっては満点近いのも取れたし、合っている分野なら最初ダメでもちゃんとできるんだなと自信がついた。
これもコロナの影響でDVDによる映像授業だったおかげであるとは思うが。大人数の教室だとまたストレスがかかって勉強にならんかったと思う。
最後の2週間だけ入寮して同期と試験とセミナーだけ連日受けたが、同い年の同期と深夜まで毎日図書館で勉強できたのは失われた学生時代を取り戻せてよかった。

いまはものすごく恵まれているなあ。
同期たちは自分が独りで面白いなあと笑っていた文化やら感覚やらを話せば誰かしら拾ってくれるし拡張してくれるので、孤独にインターネットを見ていたのも別に独りではなかったんだなと思う。画面の先にはやっぱ人がいるんだね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?