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物語食卓の風景・3人の行方④

 「特に印象深かったのは、定番だけどやっぱりニューヨークね。映画の見過ぎかもしれないけど、ミュージカルを観に行ったときに、休憩時間にラウンジでしゃべっている人たちがみんな英語で、まるで映画みたいでカッコよかった。独特のクラシカルな茶色っぽいビル街も、自由の女神像もセントラルパークも、映画やテレビで観たまんまで。やっぱり、他の街と比べてニューヨークは断トツで映像の事前情報が多いせいね。自分が映画の中にすっぽり入り込んだみたいな不思議な感覚だったわ。

 いくら歩いても足りない感じだった。帰りの飛行機に乗るためにリムジンの中でビリー・ジョエルの『ピアノ・マン』が流れたのね。それまで何度も聴いていたのに、何だか初めて聴くみたいな、今まで聴いていたのは何だったんだろう、と思うぐらい窓から見えるビル街の雰囲気や、目の前にいる運転手の黒人の方の姿にピッタリなの。確かにビリー・ジョエルはニューヨーカーなんだ、って思ったわ。そしてまた来ようって思ったの」

 夢中で海外旅行の思い出を語り続ける美帆に、真友子はいささか疲れていた。この人、ちょっとハイなんじゃないの? 

 チラッと航二のほうに目をやる。楽しそうだ。無理してつくっている笑顔じゃないわね、これは。いつもこんな風に、美帆さんが一方的にしゃべるのかしら? ふだん、2人は何をしゃべり、どういうつき合い方をしているんだろう。そもそもこの人、結婚はしていないのかしら? あちこち飛び回っている感じから、お子さんはいなさそうだけど。聞きたいけど、この海外旅行話から、いきなりそういう生活の話とか聞くと不自然かもしれない。出会いの話を聞いたときに、すかさずツッコんでおけばよかった……まさかこんなに長いこと、旅行の話が続くとは。しかも、その長い話の間にけっこう食べているのよね、この人。いい年して食欲は旺盛みたい。私はここまでたくさんは食べられないわあ……。なんか疲れた。

「すみません、ちょっと外します」

我慢できなくなった真友子は、トイレで休憩することにした。しばらく便座の上に座ってぼんやりしながら、この後どうすれば2人の関係に切り込めるのか、考えをまとめきれないでいた。そもそもこの2人は不倫なのか、単なる食事仲間なのかよくわからないようになっていた。すっかり美帆のペースに乗せられて、立ち尽くす感じになってしまっている。いつまでもトイレにこもっているわけにもいかないので、水を流して用を済ませた風にしてから扉を開けた。

 すると、目の前に美帆がいる。鏡に向かって化粧を直している。鏡越しに真友子に気づくと、振り返って話しかけてきた。

「すみません、私ばっかりしゃべっちゃって。バスク料理って、懐かしさを呼び起こすのか、ついつい海外の話ばかりしてしまって、退屈だったのではないですか?」

 こんな真正面から言われると、戸惑ってしまう。

「いえ、私はあまり旅行をしないので、行ったことがない国の話は興味深いです。テレビの紀行番組とは違う姿で新鮮です」

「そうですか⁉ いやー、でも旅行ばっかりしているから、ちっともお金が貯まらないんですよね。独り身の気楽さかな」

 あ、出た。もしかすると、2人でだったら何か聞き出せるかも。聞き出すのは怖いような気もするけど、知りたくないことまでわかってしまいそうで。でもちょっと一押し。

「え、お一人なんですか? 徳山さん、魅力的な方なのに」

「なんかねー、ご縁がなくて。それに、結婚って女が損することが多いと思いませんか? あ、ご結婚されている真友子さんに、そういうことを言うと失礼ですね。真友子さんってお呼びしていいですか? 角谷さんが2人いると、呼びにくいので」

「いいですよ。結婚が損……確かにそうかもしれませんね。家事の負担は女性にばっかりかかりますし」

「やっぱりそうですか。角谷さん、あんまり家事をしそうにないなあと思うことはよくありました。台所談義をしていても、生活感がないというか、設計士や建築家の方々と同じで、かゆいところに手が届かないというか、なんか、分厚い軍手をはめて触っているというような感じで、わかってないなあと思う感じなんですよね。ふだん台所に入っていない人、と思います」

「昔はもっとやっていたんですが、成り行きで私がする家事のほうが多くなってきてしまいました」

「そういうご夫婦も多いんですよ。新婚当時はシェアしていても、だいたいがお子さんが生まれたことをきっかけに、奥さんの家事がふえる。お子さん周りの洗濯とか片づけとか食事とか、旦那さんが気づかないことが多かったりして、先に気づいた奥さんが『自分がやったほうが早い』ってやっている間に、気づけば家事をするのは自分だけになっていた、というパターンがすごく多いんです」

「うちは子どもはいないですけど……」

「あ、そうでしたね。角谷家では何かきっかけがあったんですか?」

「私が仕事がないときがあって……」

「ああ、収入の差!これもまたよくあるパターンなんですよ、実は。奥さんが非正規で派遣やパートだったりして、夫婦間で収入の差が開くと、不思議なことに旦那さんたちが家事をやらなくなるんですよね。労働時間は関係ないんですよ。ひどい人は、旦那さんは定時帰りで先に帰宅していて、奥さんは勤務時間の関係で遅いのに、旦那さんは奥さんが帰ってくるまで新聞を読んだりテレビを見たりして、ご飯をつくってもらうのを待っていたりするんです。『俺が養ってやっている』と思うから手を出さないんでしょうかね」

「そういうの、あるかも」

「ねえ、ここで長話もなんだから、今度2人で会いませんか? 真友子さんのお話もうかがいたいわ」

「え? でもわが家のことは聞いていらっしゃるんじゃないですか?」

 真友子はたじろいでいた。まさか向こうから近づいてくるなんて。この人、やましいところないのかしら? いや、やっぱり不倫というのは勘違いで、純粋に航二の友達なのかもしれない、この人。だとすれば、別にビビる必要はないわよね。航二はちゃんと話してくれないかもしれないし、この人に聞いたほうが真実がわかるかもしれない。

「そんなにいろいろ、お宅のことまでうかがっているわけじゃないですよ。LINEやっていますか?まずは連絡先を交換しましょう。ぜひ」

 何となく勢いに押されて、LINEの友達登録をしてしまった真友子。果たしてこれからどうなるのか。



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