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病気に罹患しても治療しないと言う信念

私は、精神科以外の病気に罹患しても、治療は行わないと言う信念を持って生きている。
精神科は「社会参加の条件」だから受診するしかないが、その他の病気に罹患した場合、60歳になる前に天に召されることができるので、特に治療はしないことにしている。

思えば、公務員試験の時に、3ヶ月で1日14時間?程度勉強して、死にたいと思ったあの時から、生きていて幸せだと思ったことはなかった。
だが、自殺も嘱託殺人も許されない今の社会では私は死ぬことはできなかった。

だから、病気に罹患したら治療せず、ホスピスで痛み止めを打ってもらって毎日過ごすことに決めている。
現に私は卵巣嚢腫に罹患しているが、治療はせず、放置している。
今も、右胸に鋭い痛みが走っているが、フェルビナク配合のフェイタスを塗って我慢している。このまま乳がんになってホスピスに入院することを夢みて、である。

早く「余生」が来ればいい。ホスピスか、「痛みの診療所」に通いながらピアノの練習をする。ピアノの糧になる読書もできる。素敵な「老後」である。

そんなに死にたいなら「抗うつ剤」を貰えば良いのにと言われるかもしれないが、実際、私は精神科で何度も「死にたい」「憂鬱」と繰り返し、不定愁訴のように直訴していたが、その頃の担当主治医が抗うつ剤を処方してくれず、結局今のように、病気を放置するような状態になってしまったのだった。

その後、主治医が2014年に変わって、私は気分安定薬を飲むようになった。前よりはマシな人間になったと自覚している。その時の女医さんのお薬で真っ当な人間になれたのだから、女医さんの社会復帰に私はとても賛成しているのであった。

だが、私の希死概念は消えることはなく、病気を放置するに至っている。
どうしても生きたいと思えない。
こういう類の人間はタナトスを自覚し、共に生きるしかないのかもしれないが、私の場合はタナトスと「共生する」と言うよりも「支配されている」ので、いっそどこかのタイミングで死ねないかと今も思っている、希望している、願っているのである。